弱小メーカーのとるべき戦略を考え抜く幸運に恵まれました。(後編)モレキュラー・インプリンツ・インク 溝上裕夫
日本ケー・エル・エーへ
聞き手:前回は半導体の道へ進むきっかけから,沖電気工業時代までのお話をお聞きしましたが,今月はそれ以降のお話をお伺いできればと思います。溝上さんは1994年に外資系企業の日本ケー・エル・エー(現 ケーエルエー・テンコール)に移られていますが,それはどのような理由からですか?
溝上:われわれの世代というのは,子供の頃に戦後の何もない時代を過ごしていますから,アメリカに強い憧れがありました。そして,私がやってきた半導体の仕事は,アメリカに追いつけ追い越せを目標にしてきましたから,いつかアメリカのビジネス手法を勉強したいという思いがずっとありました。ところが,開発担当のエンジニアにはそのようなチャンスはありませんでした。
しかしながら,沖電気で半導体事業を成功させると,海外の半導体関連企業数社から勧誘を受けるようになったのです。
聞き手:いわゆるヘッドハンティングですね。
溝上:それで,転機といいますか,ここでチャンスを逃したらアメリカのビジネス手法を学ぶチャンスはもう二度とないだろうと思い,1994年に日本ケー・エル・エーに行くことを決心したのです。
日本ケー・エル・エーでは,社長兼アメリカ本社の副社長をやらせてもらいました。そして,KLA社とTencor社の合併に伴い,ケーエルエー・テンコールの社長となり,平成14年に会長,平成15年にはシニアアドバイザーとなり,平成21年に米Molecular Imprints社の日本オフィスを開設し,代表・ジャパンジェネラルマネジャーとして現在に至っているわけです。