【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

“汽水”には面白そうなテーマが集まる電気通信大学 教授 武田 光夫

“電波”から“光”へ

聞き手:本日はよろしくお願いいたします。先生は,学部ご卒業の大学は現在のご所属と同じ電気通信大学ですね。電通大に入学されたキッカケは何だったのでしょうか?

武田:小学生のころの鉱石ラジオ作りから始まった遊びが,中学生のころにはアマチュア無線(JA1HXX)になり,自作の送信機と受信機を使った外国とのモールス交信に夢中になっているような“無線少年”でした。高校まであまりまじめに勉強しないまま,趣味の延長のようなかたちで電通大に入りました。

聞き手:大学での専門分野は何だったのですか?

武田:電通大のルーツである電波通信学科に入って,外国航路の無線通信士として世界を巡ることにも興味がありましたが,人生の大半を海上で過ごすことにはためらいがありました。そこで,電波の「運用」ではなく「技術」に重点を置く電波工学科を選びました。

聞き手:光とのかかわりはどのようにして生じたのでしょうか?

武田:当時,電通大には上級のアマチュア無線通信士免許を持っている,今でいう「オタク」の人たちがいっぱいいました。わたしもその中の一人として大学に入学したのですが,クラスの中にはもっとすごい「超オタク」が大勢いたわけです。自分より無線の知識やモールス通信技能に優れた友人たちに囲まれてだんだん自信を失い,「プロの無線技術士になる」という当初の意志がしぼんできました。その一方で,初めて接した大学の数学,物理,電磁気学などの基礎科目に面白さを感じ始めていました。当時の電通大でこれらの講義を担当された先生方が,驚くべき情熱をもって学生を教育してくれたからです。
 高校までは趣味にはまっていてまじめに勉強しなかったので,電通大に来て初めて学ぶことの楽しさを知ったような気がします。例えば,中学生のころに送信機を自作していたので,7MHzの周波数を水晶振動子で発振させてC級増幅器で波形を歪ませると,14MHzや21MHzなど2倍,3倍の高調波が取り出せることや,送信機のタンクコイルに1ターンランプを近づけるとランプが今にも切れそうなほどキラキラ輝くことなどは体得していました。しかし,なぜそうなるか理解できないままに,それらの現象を利用していました。それが,フーリエ級数や電磁気学を学ぶことによって納得できるのが,手品の種明かしを見るようで面白かったのです。佐藤洋先生の電磁気学の講義には特に深い感銘を受け,他学科でしたが特別に願い出て,卒業研究の指導を受けさせていただきました。そして,だんだん所属する電波工学科の本流から外れて,物理学に関係した分野の大学院に進みたいと考えるようになりました。
 佐藤先生に進路をご相談したところ,「これからは光が面白そうです。“光”と“情報”が結びついてくるでしょう。東京大学の小瀬輝次先生(生産技術研究所)のところはどうでしょう」とおっしゃっていただきました。そこで,小瀬先生の研究室を受験することにしました。その時は光学のことは何も知らずに,とにかく尊敬する先生の助言に従って“電波”から“光”へ転向することにしました。佐藤先生は東京大学理学部の物理を卒業され,統計力学などをご専門とし,そこから情報理論などの情報分野に移られた方です。ですから,“物の科学”の物理と“事の科学”の情報の両方に通じた先生でした。その後,わたしが光(物の科学)と情報(事の科学)の交じり合う汽水を自らの居場所に定めることになったのは,今思えば,佐藤先生の黙示によるものなのかもしれませんね。

聞き手:初めて行く東大の大学院はどのような感じでしたか?

武田:わたしが大学を卒業した1969年は,まさに大学闘争のさなかでした。電通大でも機動隊導入があり,卒業式が無くてどさくさの中で卒研発表もせずに卒業してしまいした。進学した東大でも,安田講堂に学生たちが立てこもってそれが陥落するような状況です。東大の人たちは卒業が5月になり,進学した物理工学専攻には外部から来た人間はわたし一人しかいませんでした。4月からの2カ月間は授業も無く,研究室では先輩の有本昭さんが熱心に研究されている傍(かたわ)らで,することも無く毎日漫画を読んでいました。さすがにその時は小倉磐夫先生にしかられましたが(笑)。
 2カ月遅れで東大の学部から学生が進学してきてようやく授業が始まり,本郷の田中俊一研究室の石原聡さんや谷田貝豊彦さんとGoodmanやPapoulisの本の自主輪講を始めました。大学闘争の影響かどうか分かりませんが,翌年からは黒田和男さんや渡部俊太郎さんをはじめとする優秀な人たちが本郷から生研の小瀬・小倉研究室に多く進学してきて,研究室は大変活気に満ちていました。研究室の定例の火曜輪講会には,理化学研究所の斉藤弘義先生,早稲田大学の大頭仁先生,ニコンの靏田匡夫さんなど外部の著名な研究者や,ドイツから帰国したばかりの理研の山口一郎さんなど気鋭の若手の方が数多く参加され,熱心な議論を交わして大変刺激になりました。当時の小瀬・小倉研究室で知り合った方々には現在に至るまでいろいろとお世話になっています。
武田 光夫(たけだ・みつお)

武田 光夫(たけだ・みつお)

1969年,電気通信大学 電気通信学部電波工学科卒業。1971年,東京大学 大学院工学系研究科物理工学専門課程修士課程修了,1974年,同博士課程修了(工学博士)。同年,日本学術振興会 奨励研究員。1975年,キヤノン(株)に入社し中央研究所と本社光学部に配属。1977年,電気通信大学電気通信学部講師。1980年,同助教授。1985年,当時の文部省長期在学研究員として米国スタンフォード大学 情報システム研究所客員研究員。1990年,電気通信学部教授に昇任。現在,大学院情報理工学研究科教授。専門分野は応用光学と情報光工学。現在の研究課題は,光応用計測や光情報処理,結像光学と画像処理など。応用物理学会理事や評議員,日本光学会幹事長,SPIE理事などを歴任。SPIE Dennis Gabor Awardや応用物理学会量子エレクトロニクス業績賞(宅間宏賞)など多数受賞。OSA Fellow, SPIE Fellow, 応用物理学会Fellow。

私の発言 新着もっと見る

色覚の研究,私の場合。
色覚の研究,私の場合。...(9/26) 立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ...(8/7) 株式会社スマテン 代表取締役社長 都築 啓一

本誌にて好評連載中

一枚の写真もっと見る