本物を目指して「門前,市を成す」であれ東京大学 教授 古澤 明
人が行かないところに行く,人がやらないことをやる
聞き手:物理学者の世界のトップランナーでいらっしゃる古澤先生が理学部の物理学科ではなく工学部の物理工学科に所属されているというのはちょっと異彩だと伺いました。なぜ工学部に進もうと思われたのですか。古澤:日本の特殊事情なのかもしれませんが,日本には物理学会と応用物理学会があるように縦割り行政になっています。世界ではこのように分かれているところはありません。私はカリフォルニア工科大学(Caltech)では物理学科に籍を置いていましたが,研究自体は米国でも日本でもずっと同じことをやっていますので,私にとっては何の違和感もありませんが,日本にしかいらっしゃらない方にとっては,異彩だと感じられるのかもしれません。あと,日本の物理学科は素粒子論とか宇宙論といった既存の分野の枠組みがすごく強くて,われわれのやっているような量子光学や量子情報など極めて新しい分野は,工学部でないと展開できないといった事情もあります。
私が高校のころには,コンピューターはとても重要な時代になっていましたし,ものづくりにおいても,電気回路等が導入され,制御することが不可欠でした。しかし,理学部に「制御」という概念は無く,観察し物事の真理を探求はするけれども,得られた成果を,例えば量子を制御するというようなことはご法度でした。私は,制御をしたいんです。量子状態あるいは量子の制御をしたいので,そうすると必然的に工学部になってしまいます。高校の進学アンケートには,「東大・物理工学」と書いていましたし,宇宙関係をやるのなら宇宙工学科とか本当にロケットをつくるとか,そういう工学部志向が最初からありましたね。東大の物理工学科の特長は,純粋物理と実験に必要な工学を体系的に学ぶことができることです。
聞き手:学部と修士の方では半導体の光物性を研究テーマにされ,その後,ニコンに入社されますね。
古澤:半導体をやっていたら電機会社に入るのが普通ですよね,日立とか東芝とかNECとか富士通とかに。この学科でも,そういう大手電機会社に入るのがマジョリティーでしたが,私はあまのじゃくで,マイノリティーが好きなんです。「人が行かないところに行く,人がやらないことをやる」というポリシーがあるので,人生の決断において,すべて人の選ばないことをやってきました。申し訳ないですけれども,光に興味があったというよりは,人が行かないから行ったというだけで,ニコンを選んだのも,13社ほど会社見学に行き,「財閥系の三菱グループの会社なので絶対,多分,つぶれないな。雰囲気も自由な感じで,一番楽そうだな」と思ったからです(笑)。
最初は開発本部の研究所に配属され,半年ほどの研修が終わると,「光化学ホールバーニングをやるから,調査しなさい」と任務が与えられました。まだインターネットが普及していませんから,とにかく図書室の文献を読みあさった覚えがあります。1988年には,東京大学先端科学技術センターの三田達先生,堀江一之先生の下に国内留学し,光化学ホールバーニングの実験を行うことになりました。光化学ホールバーニングは3次元の大容量メモリーで,今3次元メモリーというとホログラムメモリーですが,あのころは,2次元空間を波長で3次元にしたものでした。研究は順調に進み,1990年には博士号を取得することができました。
聞き手:3年間の国内留学から復帰し,その後,新設される筑波研究所に行かれたのですね。
古澤:基礎研究により移行していきますが,私は大容量光メモリーの研究を続けるにあたって,1000倍記憶容量が上がれば1000倍速く,あるいはもっと速く読まないと意味がない,と悩んでいました。今でも一番記憶容量のあるものは磁気テープなのですが,使われていないのはアクセススピードがめっぽう遅いからです。早く読ませるために,ディスクを速く回せば帰ってくる光の量はどんどん少なくなっていき,最後はフォトン1個しかないわけです。フォトンが1個返ってくるか返ってこないかで読み出すというところが限界で,「ショットノイズ・レベル」と言いますが,光磁気ディスクはすでにこのレベルにきていました。それで,なぜそうなるかというのを考えました。普通の光はフォトンがランダムに飛んできますが,ちゃんと「制御」された形で光が飛んでくればショットノイズ・レベル以下のところで情報を読めるんです。次の展開として光の量子状態をいじる研究を上司に提案しました。制御するために,普通はばらばらに飛んでくる光のフォトン同士に相関を持たせ,2個ずつ飛ばすスクイーズド光を用いた研究を始めました。量子光学研究は,少しずつNTTなどで行われていましたが,どこのメーカーもまだ着手していなかったと思います。最初は,会社の研究所でかつ量子光学は全く素人の私が,一人で研究を続けていましたが,急速に進歩していた世界の技術と戦うには限界もあり,この当時,筑波研究所長を兼務されていた鶴田匡夫先生に相談したところ,電気通信大学の宅間宏先生を紹介していただきました。宅間先生に「CaltechのKimble先生の下で研究するべきだ」と推薦状を書いていただき, 留学することになったのです。 <次ページへ続く>
古澤 明(ふるさわ・あきら)
1984年,東京大学工学部物理工学科卒業。1986年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。同年,株式会社ニコン入社。ニコンに在籍しながら,1988~90年は東京大学先端科学技術研究センター研究員を,1996~98年はカリフォルニア工科大学客員研究員を務める。帰国後,ニコンに復帰した後,2000年から東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教授。2007年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授。現在に至る。●専門:非線形光学,量子光学(光化学ホールバーニング,フォトンエコー,スクイージング,キャビティ聞き手ED,原子トラップ量子テレポーテーション,量子コンピューター)
●主な受賞歴等:1998年,Caltechで「量子テレポーテーション実験」に世界で初めて成功し,『Science』の1998年10大成果に選出される。2004年には3者間の量子もつれ制御に,2009年には9者間の量子もつれ制御に成功。久保亮五記念賞,日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞,量子通信国際賞などを受賞。