本物を目指して「門前,市を成す」であれ東京大学 教授 古澤 明
思考実験を現実化させ『Science』10大成果に選出
聞き手:賭けの約束はどうなりましたか。古澤:3カ月後には成功させました。彼らにとっては信じられない奇跡が起こっているんですよ。当然,「本当かよ?」という感じでしたね(笑)。そんなすごいことができるはずはないと思われているので,kimble先生は「じゃあ,俺と一緒にやるか。目の前で成功させてみせてくれ」と。先生も間違ったものを「すごいことができた」と発表してしまったら学者生命が終わりますから,それは慎重になりました。この結果を,サンフランシスコで開催される量子エレクトロニクス国際会議(IQEC1997)で発表するため,3週間の期限を切り,Kimble先生とマンツーマンで実験を行いました。余裕で再実験を成功させる予定でしたが,なぜかうまくいかず,不眠不休で実験に取り組み,発表の直前にようやく成功することができました。Kimble先生も非常にエキサイティングで,最後に「I agree with you.」と握手したんです。
聞き手:IQEC1997で発表された時,皆さんの反応はいかがでした。
古澤:しいんとしていました。「何が起こっているんだか分からない」という感じでした。今まで理論もなかったし,いわんや実験なんかできるとは思っていないので,まず何が起こっているのかをみんなは理解できていなかったと思います。そもそもできないと思っていたので,理論でエントリーしてあったんです。それが,突然スピーカーが私にチェンジになって,実験結果の講演になったので,「あれ?」,「できちゃったの?」みたいな(笑)。そんな感じでしたね。
聞き手:その後,『Science』の98年十大成果に選ばれ,ジュラシックパークで有名なMichael Crichton『Timeline』の参考文献に載るほど,幅広い分野に影響を与えるすごい実験だったんですね。NHKの「プロフェッショナルの流儀」にも出演されていますよね。
古澤:おかげで世界中のマスコミに登場しました。今度,シュレディンガー・キャットのテレポーテーションというテーマで,10月放送予定の「Discovery Channel」にも出ます。
聞き手:お話は戻りますが,すごい成果を上げられ留学先から帰国すると,在籍していた筑波研究所が無くなっていたそうですね。
古澤:ええ。要するに,長銀とか山一が無くなった時です。大井製作所に戻ることになり,今までやってきた基礎研究とは違うものを,それも何をやるかを考えなければなりませんでした。でも,それは面白くないですよね。ちょうど,東大の教職の公募があったので,応募しました。現在は,物理工学科でテレポーテーション屋をやっています。いろんなものをテレポートしています。そしてその展開とし,まずは,大容量通信を考えています。前述の光磁気ディスクの研究のところで,フォトン1個が1bitみたいな話をしましたが,スクイーズド・ステートを使うともっと情報が読めるようになるのです。基本的に非古典的な状態(量子力学的な状態)を使うと,光にたくさん情報を込められ,あるいは,非常に高い精度で読むことができるんです。今の光通信をショットノイズ・レベル以下の情報まで読めるようにすれば大容量になるので,量子最適受信機なるもの作ろうと思っています。それを売ってひともうけしようと(笑)。
聞き手:量子最適受信機なるものの完成は,いつごろでしょうか。
古澤:いつになるかそれは分かりません。その前に,ファイバーアライナやミラーマウントとかを作って売っています。
聞き手:今までのお話をお伺いし,進まれた先々で必ず何か成果を上げられていますよね?
古澤:私は,何というか,楽しければいいんです。やっていることが,面白くなくなったらやめますけれども,今のところ面白いので。不謹慎なのかもしれませんが。それと,あまり目標を立てるのは好きではないです。むしろ目標を立ててしまうとそれに標準を合わせてしまいますが,適当にやっていると予想以上の効果が出て「あれ,もうできた?」という時もありますから。私自身はもう監督なので特に実験をやっていませんが,最近の学生は,私が思っている10倍ぐらいのスピードでうまいこと成果を出すので,かえって,私が「何年後までに実現する」とか言ってしまうと,それに縛られてのんびりしてしまうので,むしろそれを言わない方がいいと思っています。
聞き手:意外ですね,昨今は大学生の学力低下が問題になっていますが。
古澤:ここの学生はとても能力が高いです。学生だって世界的なレベルで戦えるということを覚えるとすごく頑張りますよね。つまり,われわれの研究の現場はメジャーリーグなんです。リトルリーグも経験していないのに突然メジャーリーグのプレーヤーになれるんですから,すごくしびれますよね。多分,ワールドワイドで見てもどこにも負けないんではないですかね。例えば,東大のトップがハーバードに行ってもトップだと思います。ただ,日本語のジャーナルはカウントされないなど,いろいろなハンディキャップを背負っていますから,例えば,ワールドランキングでは,工学部は7位なのですが,東大全体は20番とか30番になっています。英語の論文を必要としない分野もありますから。あと1つとても重要なポイントは,英語以外で大学院レベルの教科書が存在する国は日本だけなんです。
聞き手:物理を自国の言葉で教えているということは,それだけその国の国力が高い,と伺ったことがあります。英語と日本語と,あとはフランス語ぐらいですか。
古澤:フランス語も今まではそうでしたけれども,かなり減っています。それだけ日本の物理学のレベルが高いという証拠です。やはり,母国語で学ぶというのは思考の回路にフィットするので,読みの深さも違ってきます。物理の分野でいえば,東大は世界で1位か2位だと思います。だから,何も卑下することはないし,何も負けていないのに,なぜだか「留学しろ」とか「今の若者は内向きだ」とか言う人がいて,いつまでも「米国に学べ」という思想なんですよ。今は日本では,もちろん東大の限られた研究室ですけれども,米国の研究室よりもはるかにお金を持っていますから,例えば,うちの実験設備は世界のどこの研究所よりもすごいですから,外に出ていく必要がないんです。日本にどっしり構えて,みんなが「門前,市を成す」状態でやるのが本当の本物で,私は,それを目指しています。 <次ページへ続く>
古澤 明(ふるさわ・あきら)
1984年,東京大学工学部物理工学科卒業。1986年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。同年,株式会社ニコン入社。ニコンに在籍しながら,1988~90年は東京大学先端科学技術研究センター研究員を,1996~98年はカリフォルニア工科大学客員研究員を務める。帰国後,ニコンに復帰した後,2000年から東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教授。2007年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授。現在に至る。●専門:非線形光学,量子光学(光化学ホールバーニング,フォトンエコー,スクイージング,キャビティ聞き手ED,原子トラップ量子テレポーテーション,量子コンピューター)
●主な受賞歴等:1998年,Caltechで「量子テレポーテーション実験」に世界で初めて成功し,『Science』の1998年10大成果に選出される。2004年には3者間の量子もつれ制御に,2009年には9者間の量子もつれ制御に成功。久保亮五記念賞,日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞,量子通信国際賞などを受賞。