何か新しいものを作っておくと,誰かが面白い応用を考えるものです東京工業大学 学長 伊賀 健一
経験と産業の潮流を読み研究テーマを選択
聞き手:伊賀先生は1973年に東工大の助教授になられ「分布屈折率ファイバーによる通信・画像伝送」と「半導体レーザー」の研究を始められます。この2つの研究が,その後の光エレクトロニクスの基礎を築くわけですが,このテーマをなぜ選ばれたのでしょうか。伊賀:東京工業大学の前身は明治14年に設立された東京職工学校でして,昭和4年には東京工業大学へ昇格し,戦後昭和24年に国立東京工業大学となりました。その当時の和田小六学長が,「研究室は自由でなければならない」と大学改革に取り組み,そのころから教授と助教授は独立の研究室を持っていました。抱える学生数なども同等で,研究テーマもそれぞれ独立に挙げるという運営を伝統的に行ってきました。これが東工大の非常にいいところです。私も助教授となり研究室を任されましたが,装置も予算もない中から研究テーマを自分で考えなければいけません。そこで,大学,大学院,その後助手を6年半してきた経験を基に,世界的な光の分野の発展や将来の方向などを考えながら「レーザー」と「光伝送」を研究テーマに選んだのです。
1962年のころ,卒業研究の指導教授で後に東工大の学長にもなられた末松安晴先生から,「光通信をやろう」と言われ,卒業研究と大学院修士の3年間ほど,固体レーザーであるルビーレーザーの研究をしました。長さ4mm,太さ2mmぐらいのルビーの棒の両端を平行にして反射鏡を付けその間で反射させる,いわゆるファブリペロー共振器を作るわけです。電源なども自作し,東工大で初めてレーザー発振を得たのです。この時に,レーザーの素養,基礎をみっちりと勉強しました。そして修士が終わるころに,光通信にはルビーレーザーは使えそうにないな,との結論に至ったのです。ルビーレーザーは,単発のパルスがポンと1つ出て終わりというレーザーですから,目の手術などには使えますが,通信には使えません。そこで末松先生の助言を得て,「光伝送」という光を遠くまで伝える研究をすることになりました。今で言う,光ファイバー伝送です。光のパルスがあまり歪まず遠くまで行くという分布屈折率を持ったファイバーの伝送理論を博士課程の3年間研究しました。シュレディンガーの方程式に似た固有値方程式を解いて,光が歪まず遠くまで行く条件を求めたのです。解はうまく出ましたが,群速度を求める手前で終わっていました。ベル研究所の人や,東北大学の西澤潤一先生・川上彰二郎先生も同じ方向の研究をされており,方法は全く違いますが川上先生の群速度を求めた理論が米国の雑誌に投稿され,川上・西澤理論が世界的に有名になりました。もう少しのところで追い越されてしまったという感じで,惜しいことをしたなと思います。両先生はそうは思ってないかもしれませんが(笑)。つまり,レーザーと光伝送の2つの研究が助教授になった時の研究テーマの基になったわけです。 <次ページへ続く>
伊賀 健一(いが・けんいち)
1940年広島県出身。1963年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1965年同大学院修士課程修了。1968年同博士課程を修了し工学博士に,同年精密工学研究所勤務。1973年同助教授に就任,同年米ベル研究所の客員研究員兼務(1980年9月まで)。1984年同大学の教授に就任。1995年同大学精密工学研究所の所長併任(1998年3月まで)。2000年同大学附属図書館長併任(2001年3月まで),同大学精密工学研究所附属マイクロシステム研究センター長併任(2001年3月まで)。2001年3月定年退職,同大学名誉教授。2001年4月日本学術振興会理事(2007年9月まで),工学院大学客員教授(2007年9月まで)。2007年10月東京工業大学学長就任,2012年9月末退任。●専門等:光エレクトロニクス。面発光レーザー,平板マイクロレンズを提案。高速光ファイバー通信網などインターネットの基礎技術,コンピューターマウス,レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築く。応用物理学会・微小光学研究グループ代表。日本学術会議第19,20期会員,21期連携会員。町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者,町田フィル・バロック合奏団の主宰者でもある。
●1998年朝日賞,2001年紫綬褒章,2002年ランク賞,2003年IEEEダニエル E. ノーブル賞,2003年藤原賞,2007年 C&C賞,2009年NHK放送文化賞ほか表彰・受賞。