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絶体絶命のピンチととらえられがちなことにも,必ず突破口はある株式会社日本レーザー 近藤 宣之

日本レーザーは創業50周年のレーザー輸入商社

聞き手:2018年,株式会社日本レーザーは創業50周年を迎えますね。おめでとうございます。近藤様が社長になられたころから振り返って,いかがでしょうか。

近藤:日本レーザーは,もともとレーザー輸入商社として設立されましたが,レーザー自体ができてまだ60年弱なので,日本でいちばん歴史があるのです。1968年設立時の状況は,個人株主が10名,資本金500万円でした。そして,1971年に日本電子の完全子会社になってから,規模を拡大させていきました。1974年に資本金を1,000万円に,1976年に2,000万円,1983年にはコムテックトレーディングと合併し3,000万円になります。これにより,株主構成は3分の2が日本電子,3分の1がその他となりました。同時に,営業拠点も,大阪,名古屋,サンフランシスコ,筑波と開設するような拡大過程で,経営破綻が起きたのです。
 バブル崩壊の影響で赤字が3年間続き,1993年上期には債務超過に陥りました。私はちょうど日本電子取締役国内営業担当になって,1年も経たない秋のことでした。当時はバブル崩壊の大混乱の時期でしたから,取引銀行からも見捨てられ,親会社である日本電子からの融資で再建することになったわけです。
 当時,私は日本電子では最年少の役員で,なおかつ,アメリカから帰ってきたばかりで英語ができる,労働組合の幹部でもあったから労務もできるということで,日本レーザーを再建するにあたって,白羽の矢が立てられました。1994年,私は日本電子の役員をしながら,日本レーザーの代表取締役に就任しました。日本とアメリカでリストラを成功させ経営を再建させた経験を買われての代表就任でしたが,最高責任者として取り組むことは別格でしたね。それはもう大混乱でした。
 私が来たばかりの頃,社内には「4つの不良」がはびこっていました。1つ目が「不良在庫」です。たくさん仕入れたほうが原価率は下がるため,多めの在庫を抱えていました。その結果,多くが売れ残り,不良在庫となっていたのです。棚卸しをやったことがなく,在庫管理がなされていませんでした。2つ目が「不良設備」で,事業の見通しを見誤り,設備も過剰に抱えていました。3つ目が「不良債権」です。担当営業部員は「売った」と言うものの,製品納入先からは,「いや,買っていない。預かっているだけだ。『使ってみてください』と言われたから置いているだけであって,代金を払うつもりはない」と言われるケースが山ほどありました。そして,4つ目が「不良人材」です。好き勝手に振る舞う社員がたくさんいて,出金伝票もチェックされていなかったので,粉飾もまかりとおっていました。営業員にはタイムカードもなかったので,勝手に来て,勝手に帰ります。
 絶体絶命のピンチととらえられがちなことにも,必ず突破口はあるのです。でも,そのときに,「もうだめだ」と思考停止してしまったら,本当に終わってしまいます。私は,「在庫」「設備」「債権」「人材」という4つの不良を解消するために,「社員のモチベーションを高める工夫」「粗利重視の経営」「人事制度・評価制度の見直し」「能力と努力と成果に応じた処遇体系の構築」に力を注ぎました。その結果,就任1年目から黒字に転換し,2年目には累計赤字を一掃することができたのです。

社長の本気が,社員を本気にするし,社員の本気が会社を立て直す

近藤:しかし,経営が回復していく中にあっても,私に対する社員の不信感は根強かったと思います。親会社の役員のまま日本レーザーの社長を兼務していたことで,社員にさまざまな疑心暗鬼を生じさせていたのです。もともと私も,日本レーザーに骨を埋めるつもりはありませんでした。再建がすめば,その実績を手土産にして親会社に戻るつもりでした。1年目に会社が黒字になっても社員の反発が続いたのは,そんな私の気持ちが透けて見えていたからでしょう。社長がそんなつもりだと,会社が立ち直るはずはありません。私が本社の役員を兼務している以上,社員のモチベーションもロイヤリティも上がりません。
 そこで私は,再建2年目に,3期6年務めた日本電子の取締役を退任することを決めて,日本レーザーに専任することにしました。この私の決意で,会社が変わりましたね。社内の空気が変わって,再建は加速度的に進んで,2年で復配にこぎつけることができたのです。
 そのときに,会社というのは,社長の「決意」によってつくられるのだと実感しました。社長の本気が,社員を本気にするし,社員の本気が会社を立て直すのです。

聞き手:社長様の覚悟が社員に伝わって,会社は大きな転換期を迎えることになったのですね。

近藤:外に頼るものがなくなりましたから,社員に地力をつけてもらうしかありません。そこで大切なのが,社員全員が「会社から大切にされている」と実感をもつことです。多くの社長が「社員を大切にする」と口では言いますが,大半は実行されていないように思います。いざとなったら,利益を確保するためにリストラや減給をします。これでは,会社に対する忠誠心は上がらないのです。当社では,がんになっても嘱託や非常勤扱いにはしません。当事者も安心ですが,周りの社員も安心して業務に集中できるのです。
 よく,2-6-2の法則といって,利益を生み出すのは上位2割,下位2割は利益を生み出さない社員だと言われます。ですが,この下位2割も大切にすることが重要なのです。会社に有能な人材が入ってくれば,いつ自分が下位2割になるかなんて分かりません。雇用が守られる,という安心感があってこそ,人は会社に尽くすようになるのです。
 その後,会社の経営危機から24年連続黒字という会社に変わりました。組織のマネジメントという観点で,当社は最終段階に入りました。最終段階は,自己効力感が高い社員による自己組織化の展開です。平たく言えば,社員を信頼して,社員の好き勝手にやらせることです。ただし,社員が会社の方針から外れた行動をしては,会社は空中分解してしまいます。
 そこで大切になるのがクレドです。日本レーザーのクレドは,「社長第一主義であり,社員第一主義」です。「会社の定義」や「会社の存在意義」を明確にしておくことが大切で,「生涯雇用を守り,社員の成長の機会を提供する」ことが私の「目的」であり,「夢」であり,「志」なのです。クレドから外れなければ,本業と少しズレていることでも新たな価値を生む可能性があることなら自由にやらせます。クリエイティブな価値を生み出す人を評価します。傍目から見ると特定の社員をひいきしているようにも見られます。すると会社は揺らぎます。ですが,その揺らぎによって組織は進化していくのです。
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近藤 宣之

近藤 宣之(こんどう のぶゆき)

1968年3月 慶應義塾大学 工学部電気工学科卒業。同年4月 日本電子㈱に入社。電子顕微鏡部門応用研究室に勤務。1970年5月~12月 当時のソビエト連邦レニングラードとモスクワに駐在。1972年9月 全国金属産業労働組合同盟(ゼンキン同盟)日本電子労組執行委員長,東京地方金属副執行委員長,ゼンキン同盟中央執行委員兼任。組合役員退任後,経営管理課長,総合企画室次長等を歴任後,1984年11月に米国法人副支配人に就任。1987年4月 米国法人総支配人。1989年6月 日本電子㈱取締役兼米国法人支配人。1993年1月 同社取締役営業副担当。1994年5月 ㈱日本レーザー代表取締役社長に就任。1995年6月に日本電子㈱取締役退任後,㈱日本レーザー社長専任。1999年2月 日本レーザー輸入振興協会会長。2007年6月 JLCホールディングス㈱設立,代表取締役社長に就任。同時にマネジメントエンプロイーバイアウトにより日本電子㈱より独立。2018年2月 ㈱日本レーザー代表取締役会長に就任,現在に至る。2018年2月 JLCホールディングス㈱代表取締役会長に就任,現在に至る。2018年2月 日本レーザー輸入振興協会顧問に就任,現在に至る。
●主な活動・受賞歴等
2011年5月 第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞,中小企業庁長官賞受賞。2012年1月 平成23年度新宿区「優良企業表彰」,大賞(新宿区長賞)受賞。2012年10月 第10回東京商工会議所「勇気ある経営」大賞,大賞受賞。2013年2月 関東経済産業局「女性活用ベストプラクティス」に選定 2013年3月 経済産業省「ダイバーシティ経営企業100選」全国43社に入選,受賞。2013年4月 経済産業省 「おもてなし経営企業選」全国50社に入選,受賞。2013年11月 東京都「平成25年度東京ワークライフバランス認定企業 - 多様な勤務形態導入部門」に選定。2013年12月 経済産業省 「がんばる中小企業・小規模事業者300社」に選定。2015年10月 厚生労働省「キャリア支援企業表彰2015」に選定。2016年2月 日本能率協会「KAIKA大賞2015」で「KAIKA賞」受賞。2016年6月 新宿区「ワーク・ライフ・バランス推進企業」認定。2017年1月 ホワイト企業大賞委員会「第3回ホワイト企業大賞」受賞。2018年2月新宿区「ワーク・ライフ・バランス アイディア賞」受賞。

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