「理学」が「工学」に大きな進展をもたらし,それが新たな「理学」の世界を生み出す。(前編)東京大学 名誉教授 清水 忠雄
原子時計とマイクロ波分光学
聞き手:清水先生のご専門は,レーザーを使った分光学ということですが,最初に,レーザー分光の研究を始められた経緯からお伺いできればと思います。清水:私が東京大学の物理学科に進学したのは1953年で,その志望動機というのは,一番好きな科目が物理だったからです。
聞き手:今の時代は物理が好きな子どもが少なくなっていますが,先生の時代はいかがでしたでしょうか?
清水:われわれの時代は,戦争で疲弊した日本が立ち直り,復興の兆しを見せ始めたころで,物理学科に進んだら「食っていけないよ」と言われた時代でした(笑)。
ですから,生活していくための手段がいるということで,同期の者はみんな高校の教員免許を取得していました。近ごろ一般の学生が物理に興味をもたなくなったということはあるかもしれませんが,物理を一生やっていこうと思う人の数は,いつの時代でもあまり変わらないかと思います。
聞き手:先生が学生だったころは,まだレーザーが発明される以前だと思いますが,当時はどのような研究をなさっていたのですか?
清水:当時はメーザー(MASER:Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation)が発明されたころで,東大では霜田光一先生が中心となって研究をなさっていました。私が後にレーザー分光の研究に携わるようになったのは霜田先生の研究室に入ったことが大きいと思います。
そもそも霜田研に入った理由というのは,卒業研究で研究室を選ぶ時期に,東大の霜田研究室において,「300年に1秒しか狂わない原子時計が完成した」という新聞報道を読んだからです。霜田研での研究生活が面白く見えました。
聞き手:霜田先生のところでは,どのようなことを研究されたのですか?
清水:私が最初に行ったのはマイクロ波分光学です。原子時計を目指して入ったのに,マイクロ波分光学というのは変だと思われるかもしれませんが,実は密接な関係があります。
マイクロ波の理学への応用は,私が大学に入ったころに本格的に研究がスタートした分野で,このマイクロ波分光学は,原子時計や,メーザー,さらにはレーザーにもつながっています。
聞き手:マイクロ波分光学というのは,どのようなものなのですか?
清水:分光学というのは,分子や原子の応答を電磁波の波長や周波数の関数として調べる学問ですが,マイクロ波分光学では文字通り,マイクロ波を使って分子の構造を調べます。このため分子分光学とも呼ばれます。このマイクロ波分光学を修士までやりました。
博士課程では,研究テーマをメーザーに変え,波長が数100mのラジオ波を使ったメーザーの研究を行いました。このとき開発した「ラジオ波メーザー」は,長い波長の方のチャンピオンデータでしたが,この記録は今でも破られていないと思い ます。
聞き手:博士課程を修了された後は理化学研究所に移られていらっしゃいますが,ここでレーザーの研究を始められたのですか?
清水:理研に入ったのが1961年で,ここからレーザーの研究に入りました。CO2レーザーやルビーレーザーの研究からスタートし,その後は,レーザー分光学に取り組みました。理研での研究成果の一つが「二重共鳴」です。分光というのは,光源の電磁波の波長を変えていき,物質の応答を見ていくわけですが,マイクロ波とレーザー光というように2つの電磁波を使うのが「二重共鳴」です。
一つの光源だけだと分子や原子の構造しか分かりませんが,二重共鳴のように光を2つ使えば,分子や原子の時間に依存した特性が分かるようになります。
例えば,レーザーを止めた後に,マイクロ波のスペクトルがどのように変化するのかを調べると,分子の静的な特性だけではなく,この分子がどのように状態を変えていくのかというようなことが分かります。
理研には10年ほどいて,1971年に東大に戻りましたが,戻った後に行った「コヒーレント過渡分光学」などはまさにそれです。分子の定常的な状態を調べるのではなく,移り変わりの状態を調べるのです。東大を定年退官するまでは,いろいろな手法を開発しながら,そのような研究をメインに行っていました。
聞き手:先生は,レーザー分光のほかにも,レーザー冷却やレーザーカオスといった研究もなさっておられますが,それはいつごろされたのですか?
清水:レーザー冷却やレーザーカオスの研究は東大でスタートしましたが,ことにレーザー冷却の実験は,東大を辞めた後に行った東京理科大学でしました。東京の神楽坂キャンパスに2年おり,その後山口東京理科大学に移ったときには,東大にいたころよりも充実した設備を用意してもらい(笑),原子イオンのレーザー冷却などの研究をしました。
聞き手:山口東京理科大学の次に,産業技術総合研究所に移られるわけですね。産総研でのお仕事は現在もやられているのですか?
清水:山口東京理科大学には6年間いました。ここで2回目の定年を迎え,今度は産総研の計量標準研究部門に客員として招いてもらい,今年で6年目になります。産総研では研究というよりも,計量標準の知識を広く知らせる普及活動に携わっています。