光技術の行き着くところは,結局のところ健康問題だと思います。浜松ホトニクス(株) 晝馬 輝夫
カミオカンデ秘話
当時はまだ小さな会社でしたから,カミオカンデの話にしても私の決断でやったわけです。最近は,日常の注文をもらうというようなことには関与していませんが,あの当時は細かいことにまで口を出していました。うちの会社は,人が知らないことやできないことをやれというのが方針なのです。ばかでかいことでなくていいから,これができるのは世界広しといえども俺しかいないとか,これを知っているのは俺だけだとかいうようなことをやりなさいと言っているのです。
そのような方針でやっていると,問題なのは,わけのわからないことをやったときに,これが果たして値打ちがあるのかないのかということなのです。そのようなときに社長や専務が良いと言ったとしておけば,うまく行かなかったときでも,まあなんとかなるかなということです。
しかし,おかしなもので長年やっていると「あの男がいいと言ったことは不思議と最後にはうまく行く」と,こういうふうになるのです。まあ,当たり前のものを当たり前に売るような話は私のところへはきませんがね。
それで,カミオカンデの話にしても,これまで8インチの光電子増倍管は作っていましたから,ガラス管を作ってくれれば20インチもなんとかなると思っていました。確かに,世界で初めて挑戦するわけですから開発にはいろいろと苦労しましたが,思ったよりもすんなりできてしまいました(写真1)。
どちらかというと,この時いちばんの大冒険は,お金をちゃんともらえるかどうかでした(笑)。小柴先生が,お金は絶対に作ってくるからということでやったわけですが,実は先生は,カミオカンデを造るのに国から予算をもらってやったのではなくて,いろいろなところからお金をかき集めてきて造ったのです。われわれとしては増倍管1個につき30万円は欲しかったのですが,先生にそんなことを言ってもだめだとわかっていましたから「できたら1個につき27万円は欲しい。まかり間違っても最低25万円は必要だ」と言ったのです。カミオカンデ用(写真2)には1200本の増倍管を作っていますから,1200 ナ 25万で3億円となります。ですから,そのくらいはくれと言ったのですが,もらったお金はその1割もなかった。そこがいちばん問題だった(笑)。
カミオカンデをいざ造るとなったら先生は「早く増倍管を作れ,作れ」とせかすのです(写真3)。それで,一生懸命1200本作ったのはいいのですが,穴を掘ったところでお金が尽きてしまったのです。しょうがないから,でき上がったものを工場の食堂に積んでおいたのですが,工場の方からは飯を食うのにも不便だから早く持って行ってくれと催促されるわけです。それで小柴先生に言いに行ったら「すまないけどお金ができないんだ」と言うのです。作ってしまった後にお金がないと言われても困ってしまうでしょう。といって,よそに持って行っても買ってくれるところはありはしませんからね。しょうがないから「じゃあ先生持ってけや」となったのです。ただし,3000万円で1200本を売るとなると1本2万5000円ぐらいの値段で納めなければなりませんから,その請求書だけは書きたくない。だから「100本分の請求書を書くからその分だけお金をくれればいい。残りははタダでくれてやるから持って行け」と言ったのです。今思えば,あの時「貸す」と言えばよかった(笑)。当時はそこまでの知恵はなかった。まあ,どっちみち小柴先生にはお金なんてありっこないんだから(笑)。