【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

技術的知識と十分なソフトスキルがなければ,大きなインパクトを与えることはできないWilhelm Ulrich

数学への情熱があったからレンズ設計をやろうと思った

聞き手:まず,これまでの略歴について教えてください。

Ulrich:ドイツには“Abi tur”という制度がありsecondary schoolの卒業証書(diploma)のことで,合格すると大学入試を受けることができます。一般に12年あるいは13年間のprimary school とsecondary schoolの後,19歳頃にこの試験を受けます。私は生命医療工学および環境工学を学ぶために,secondary schoolの後,ハンブルグ大学に進みました。1980年,24歳で試験と論文によって学位(diploma)を取得し卒業しました(聞き手注:日本の修士に相当すると思います)。
 その後,どういった職業を選択するのがいいか,何が自分の持っている知識・能力・興味にマッチしているかを考えていたところ,ツァイスが光学設計者を募集していることを新聞で見つけました。その仕事がどういうものかは知らなかったのですけれどね(笑)。光学を習っていたわけではないので,どういう仕事か皆目分かりませんでした。しかし,それがレンズの計算や最適化,そして数学に大きく関わっていることが分かったのです。大学でも私は数学に熱心でしたから,レンズ設計は非常にふさわしいように思えました。光学設計に関心をもったのは,数学への情熱があったからです。最初の上司(boss)である,カメラレンズの設計で非常に有名なWalter Wöltcheとの最初の面談で,より一層そのことを認識しました。
 Walter WöltcheのボスはErhard Glatzelです。たぶんよくご存じだと思います。

聞き手:ええ,Glatzelはよく知っています。私は自動修正プログラムの論文を熱心に読みました。

Ulrich:WöltcheとGlatzelの2人と面談をしました。彼らは,レンズ設計者およびレンズ設計部門をリードしていく上でのプロ意識や日々の仕事について,非常に熱心に語ってくれました。私は依然としてレンズ設計が何であるかは分かっていませんでしたが,彼らは様々なレンズの光路図と収差図を見せて,それらの意味を私に教えてくれました。そして,レンズ設計の仕事がどういうものなのかを話してくれました。
 レンズ面の曲率,レンズ厚,空気間隔などのパラメーターを動かし,これらが光線,光線収差,スポットダイアグラムにどう効くかを見ます。パラメーター全体の変化によって光学系とその性能にどう影響するかを知ることができます。これを何度も繰り返すのです。1980年頃のコンピューターは,現在に比べて遥かに計算能力が少なく,コンピューターは最も効果的で確実な使い方が要求されていました。そのため,コンピューターに次に何をさせるかを注意深く考える必要がありました。この点についてWalter WöltcheとErhard Glatzelは多くの人を魅了する存在でした。
 私は,人が自分の仕事について堅実にかつ熱中して話すとき,非常にうれしく感じます。これが他の人を引き寄せます。人は,自分のすることに十分満足できるとき,最良の仕事ができるのです。私はレンズ設計者になって,そのような機会を得たいと決心しました。
 そこで,南ドイツのStuttgart近くのOberkochenに行くことになりました。ツァイスでカメラレンズの光学設計を始めました。

聞き手:確認ですが,Ulrichさんが入社されたときは自動設計プログラムは使われていましたか。

Ulrich:もちろん1980年には使われていましたが,計算速度は大変遅かったです。Glatzelはレンズ設計の最適化プログラムを開発した最初の1人で,adaptive methodを適用しています。彼の良く知った仲である一色さんと同じく,最適化に大きな貢献をしています。
 非常に重要だと思っているのは,レンズ設計というのは,仕事をしながら,望ましくは光学会社の中で学ぶものです。社内教育は成功への鍵であり,私は非常に幸運で,多くの知識を私や若い仲間と進んで分かち合ってくれるチームに入ることができました。改めて彼らに感謝を述べたいと思います。
 私は光学についてあまり知らず,また若い仲間の何人かも同じように知りませんでした。しかし,レンズ設計の経験がたくさんあるWalter WöltcheやErhard Glatzelなどの先輩方が我々に個人的にどのように為すべきかを指導してくれました。どのように設計するか,レンズ設計ソフトを使うのも,単にコンピューターに打ち込むだけではなく,深く考えずに単にコンピューターを偶然に任せて動かすのではなく,自分の頭で考えるように諭されました。現在でも重要な課題です。
 私は2年間のカメラレンズ設計のあと,顕微鏡や医療機器の光学設計部門に移り,眼底カメラの設計などに携わりました。私の光学設計人生の中で,眼底カメラの設計は1つの重要な経験です。私はこのプロジェクトで多くのことを学びました。照明系も結像系も非常に難しい仕様で,ゴーストやフレアーを避けるための特別な挑戦が必要でした。この中で,多くの関係者と熱心な内部議論を行い,立場が異なる人たちとどのように付き合っていけばよいかをも学ぶことができました。顕微鏡は興味を持った設計の1つです。対物レンズだけでなく,顕微鏡システム全体の開発をしました。レーザー走査顕微鏡(inverted laser scan microscope)の光学設計がエキサイティングだったことが懐かしく思い出されます。光学系全体の配置を考えることが興味深く,無限遠系色補正顕微鏡プラットフォームICSを発明したFranz Muchelの元で働く機会を得ました。顕微鏡の全体システムおよび対物レンズをうまく設計するには,すべての詳細な仕様を把握していなければならないと教えてくれました。ここで初めて,高NA光学系を扱いました。油浸対物で倍率が63倍と100倍で,NAは1.4近くにもなったと思います。さらに,蛍光用でUVが通るNA=1.2の水浸対物,作動距離変化に合わせて収差補正ができるNA=0.95のドライ対物を設計しました。様々な設計構想があるから光学設計は非常に多彩になるわけです。高NAの顕微鏡対物レンズに比べて,非常に視野の広いカメラレンズでは,まったく異なった仕様が要求されます。結果的には,後になってリソグラフィーレンズの世界に入りましたが,そこでは広い視野と高NAの両方が要求されました。
 リソグラフィに入る前に,高精細なレンズ面計測に必要な高性能干渉計のための多数のレンズ設計をしています。また,赤外光学系の設計にも携わり,非球面やDOEを深く知ることができました。赤外光学系特有のナルシサスと呼ばれる反射ゴースト像の低減にも精力的に挑みました。

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Wilhelm Ulrich

Wilhelm Ulrich(うぃるへるむ・うるりっひ)

ハンブルグ大学より応用科学のengineering degree(engineering degree from the University for Applied Science in Hamburg)を授与される。1980年 ツァイス光学設計の数学部門に入社し,様々な事業の最先端光学設計プロジェクトに従事(カメラ, 顕微鏡, レーザー走査顕微鏡, 医療顕微鏡,眼底カメラ,赤外光学系,干渉計,半導体露光用光学系)。1995~1997年 アーレン大学において,光エレクトロニクスの学生向けに光学設計の専門講義(associate lecturer)を行った。1997~2009年 カールツァイスSMT(SMT:Semiconductor Manufacturing Technology)AGにおいて最先端半導体露光装置の光学設計の長を務めた。2009年7月から現在 光学システム(レンズマウンティング基本設計を含む)設計の長を務めた。2014年~ オーバーコーヘンとイエナでのカールツァイス研究所のシステムエンジニアとアルゴリズムに関する責任者を務めている。2012~2014年 ミュンヘンのビジネスコーチング学院(Munich Academy for Business Coaching)でコーチング技術を学んだ。2013年~ ISO TC172“Optics and Photonics”のChairman。

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