第1回 冬の旅
ホログラフィックスノースの設立者であるDr.ジョン・ペリーは,アートマインドをもった優秀なテクニシャンであり,この設備と技術支援なくして,このホログラムは完成しなかった。これまで,ここで何度も制作してきた経験から,勝手知った快適な環境であり,作業を分業しながら順調に進めた。ホログラムの最終画像のチェックは,とにもかくにも全工程が終了してからでないと,途中の段階では成功か失敗かは確認しようがないのである。最初のホログラムを見て,もしカラーコンビネーションや画像の空間ポジションが当初のイメージ通りではない時(ほとんど一度で決まることはない),それを修正するには5 m×8 mの除震テーブルの上で,そのたびに撮影光学系を大きく変えなければならない。大きなサイズの撮影には,まさに肉体労働が伴う。条件がすべて決まり,最終の撮影には,1日に1枚のホログラムを完成させるのがやっとなのである。この状況はちょうど19世紀の銀塩写真の黎明期と酷似している。撮影時の多くの苦労,仰々しいカメラの構造,長い露光時間,感材と現像処理の面倒さなど。しかし,この後に現代の簡便で高性能なデジタルカメラの時代がやってくるとは,当時の誰が想像できたであろう。ホログラムもそのような未来を想像したいものだ。
全工程が無事終了して,完成したホログラムを携えて帰る朝,実は,前夜から雪が降り始めて30 cmほどの積雪になっていた。バーリントン空港は街から車で15分とアクセスが良い。しかし,前日にジョンから,「明日は雪の予報なので,車の運転はプロのタクシーのほうが確実だ」とアドバイスを受け,十分な余裕のある時間で予約を入れてもらっていた。バーリントンはシャンプレイン湖の東側の斜面に位置し,宿泊先は民泊で,穏やかな斜面の中腹にあるニューイングランド地方の典型的な大きな一軒家だった。玄関はメインストリートから40~50 m奥に下る地形である。早朝に,予定通りタクシーが来た。玄関に積もった新雪で,大きなスーツケースを運び出すのも一苦労だった。さて,タクシーに乗り,車は通常どおり発進した。しかし,タイヤがスリップして全く進まなかった。穏やかとはいえ,上り斜面で,私道なので新雪のままだったからだろう。これはまずい,どうなるのだろう。歩けば数分のところにある公道まで出れば,車の走行には問題なさそうだ。しかし,もしこのままでは・・・。ドライバーは,次に私道の幅(10 mもない)ぎりぎりに斜め(ほぼ横方向)にハンドルを切り,ゆっくり前進させた。その進み具合といったら,進んでいるのかいないのかわからない程だった。このような蛇行を何回も繰り返しながら,わずかずつではあるが公道に近づいていった。なんと私道を抜け出すのに30分以上もかかった。しかし,空港への時間はまだたっぷりあるから助かった。悪条件下のドライブ技術に脱帽と感謝でいっぱいだった。
こうして,汗と涙の冬の旅で完成したこのホログラムは,その後,2枚のコピーのうち1枚は2015年サンクトペテルスブルグで,ISDH(International Symposium on Display Holography)と併設して開催されたMagic of Lightに展示され,現在はギリシャにコレクションされている。一見カッコよく見えるアートが,実は,その裏側には土木作業のような肉体労働の積み重ねがあることを知ってほしい。