第4回 ニューヨーク・わんわん物語 ―MOH・A.I.R.プログラム―
ペンステーション
2度目のA.I.R.で制作した作品は,図2である。30 cm×40 cmの3色のレインボーホログラムを横に4連,縦に4連組み込み,インスタレーションに仕上げた。被写体はボストンの水族館で見つけた表面を削って磨かれたオーム貝である。貝の内側にレーザーのビームを照射することで,まるで内部が発光して見えるようにライティングを工夫した。
そして,このホログラムには,語るも涙の物語がある。すべての作業が終了し,制作したホログラムは40枚に及んだ。ニューヨークからボストンに帰る時,アムトラック(東海岸を走る特急列車)で手持ちしてキャリアーで運ぶことにした。とにかく重いので,移動前日にMOHのスタッフに手伝ってもらい,ペンステーション(ペンシルベニア駅)のコインロッカーにキャリアーごと預け,翌朝身軽に出かける予定だった。翌朝早くロッカーの前に行くと私の番号のドアが開けっ放し! なんと,中は空っぽ!!
えっ? 何が起こった?? はじめは状況が理解できず,頭の中が真っ白になった。鍵はこじ開け壊されていて,中のホログラムがすべて盗まれてしまったのだ。1か月の努力と労力が一瞬に泡と消えたことを悟った瞬間であった。急いで駅の事務所に駆け込み,まず起きた事実を訴え,MOHのポージーに電話を入れ,今起こっていることを訴えた。盗人は,重いので高価なものが入っているかと思いきや,開けてびっくり,ただの何もないガラス板ばかりを見つけたことだろう。きっと,すぐにゴミ箱に捨てたに違いないと,駅中のごみ箱を点検,ごみ収集もチェックしてもらったが,時すでに遅し。何も出てこなかった。
この時,駅の保安員に言われたことは今も忘れない。「この国(アメリカ)では,10ドルで殺人を犯す者もいる。そんなに大事なものは肌身放さず持っていないとだめだ。コインロッカーに入れるなどはもっての外」と戒められたのだったが,あとの祭りであった。ボストンに帰ってからは,疲労と作品をすべて失った絶望感で,1週間夢にうなされた。ただ,不幸中の幸いは,マスターホログラムだけは預けずに,私が手持ちしていて無事であったことだ。
この事件を知って,次のA.I.R.のダグ・タイラーは,予定時期をすこしずらしてくれ,MOHはもう一度A.I.R.の2週間を私にプレゼントしてくれた。おかげで,無事だったマスターホログラムから最終のレインボーホログラム約20枚を完成させることができた。よって,図2は,すべて再制作によるホログラムなのだった。
この体験がトラウマとなり,その後長い間,ニューヨークにいてもペンステーションに近づくことができなかった。昨年(2017年),展覧会のためニューヨークに出かけた折,どうしても移動のためペンステーションを利用しなければならず,35年ぶりに足を踏み入れた。駅はまったく一変し昔の面影は微塵もなく消えて,私の悪夢の体験も本当の過去のできごととなった。
図2 Sous la Mer スリーカラー・レインボーホログラム(1982年)
<次ページへ続く>