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第5回 ベネチアの個展

ベネチアンコーラ(?)


 新しい表現メディアとしてホログラフィーに魅せられたイタリア人の若者が,ベネチアビエンナーレ開催中の市のイベントの一環としてホログラフィー展を企画し,市に掛け合って実現した展覧会であった。私の個展の前月はルーディ・バーコートの個展が同じ会場で開催され,2か月にわたり2人セットの展覧会であった。ルーディはオランダ出身NY在住の同年代のホログラフィーアーティストで,抽象形態の美しいレインボータイプのホログラムを制作することで知られていた。
 会場のパラッツオ・フォルトゥニーは名前の通りフォルトニ宮殿,16世紀ころの歴史的な建物で,今はミュージアムとして写真やコンテンポラリーのアートが企画展示される施設だ。建物は古く内部の壁はセピア色のレンガの地肌そのままで,触ると表面がぼろぼろとこぼれてきたし,床は年季の入った木製である。しかし,なぜだか温かみのある空間に不思議な安ど感を覚えた。それまで美術館やギャラリーは白いきれいな壁の経験しかなかった私には,このワイルドな,しかし,長い時を積み重ねた不思議な空間は驚きと新鮮な体験であった。ホログラフィーによるヴァーチャルイメージとインマテリアルな鮮やかな色彩は,この荒々しい物質の存在感あふれるレンガ壁の空間によってさらに引き立ち増幅されて観る人にせまる。ここでの体験はこれ以降,紋切り型の四角い白壁の空間からワイルドな空間に興味を持つきっかけとなり,原点になった(図3,図4)。また,ハンガリーのホログラフィー研究者の旧知の友人が,昨年(2017年)暮れベネチアに旅行した時に送ってくれた最近のミュージアムの写真では(図5),施設と煉瓦の壁は今も健在のようだ。

図3 パラッツオ・フォルトニ,展覧会ポスターのある入り口とスタッフたち(1982年7月)


図4 会場風景(1982年7月)


図5 現在のフォルトニーミュージアム(2017年12月)


 準備作業には,インスタレーションの設営や面倒な照明器具の取り付け工事に数日を費やした。いつものことだが,電気工事や大工仕事の職人さんとの共同作業は必須である。数日,彼らと一緒に仕事をしているうち言葉が通じなくても以心伝心と相成る。会場空間は石の建物,高い天井とはいえ7月のベネチアは暑い。室内にはエアコン設備がないので,飲み物は欠かせない。休憩時間,「ベネチアンコーラだよ」と言ってコップに飲み物をくれた。「ありがとう」と飲んでみると,なんとまあ赤ワインではないか! 彼らは人懐こい生粋のベネチアっ子であり,3代続く江戸っ子と似たような存在の人たちだ。ベネチアから外に出ることも外の世界にも,あまり興味がないらしい。ベネチアには実際,生粋のベネチアンが今もたくさん住んでいることが分かった。日本で想像していたようなカッコイイ,イタリア男とはほど遠い? ふつうの素朴で人懐こいオジサン(オニイサン)といった風采だ。私は観光する暇もなく,毎日ミュージアムの中での仕事に明け暮れたが,おかげで楽しく作業を進めることができた。
 毎日が現場作業のそんなある日,企画スタッフの家に昼食に誘われた。メニューは手作りのスパゲッティで,イタリアだものさもありなん,だが,そこには新鮮な驚きがあった。冷やしたトマトとフレッシュモッツアレラチーズの簡単冷製サラダ風スパゲッティは,実にさっぱりとしてなんとおいしかったことか。なーんだ,これは,夏の暑い季節に食べる日本のソーメンや冷や麦とまったく同じ文化じゃないか。国が違っても人間の営みに大差はないことに1人感動したのだった。
 訪ねた家は,スタッフのおじいさんの家という,中世の貴族の館だった建物だそうだ。つまり孫の彼はベネチアの貴族の出身か? 現在は部屋の一部がアパートのように使われていて,あまりメンテナンスが施されていない。しかし,昔の館の面影はいたるところに残っていた。4,5階建ての建物の玄関を入ると,1階のホールには,美しい大理石の装飾タイルが敷き詰められた床が広がっていた。よくみると石の中にアンモナイトやらいろいろな化石らしきものが入っている。化石入りの大理石はかなり高価で贅沢なものと聞く。ベネチアは今も地盤沈下が続き,この1階のホールも毎年のように海水が上がって,床は水浸しになってしまうという。生活空間として現在は使えないのだそうだ。この美しい豪華な大理石の床も海面下に沈む風前の灯とは何ともったいないことか。1階のホールから石の階段を上がっていくと,途中の壁にところどころ16~17世紀風の肖像画がかかっている。「もしや,これって高価なもの?」なんて失礼な質問をしたら「全然そんなものではない」という返事が返ってきた。個人所有の贅沢な館の維持はきっと大変なのだろうなあ,高価な絵画だったら階段の壁などにはかけて置くはずがないし,日本の日常では出会えない経験にいろいろ空想がふくらんだ。
 展覧会オープニングの夜,外のカフェテリアに座って皆でおしゃべりしていると,突然目の前のビルの壁面にレーザーで一筆書きの文字があらわれた。なんとSetsuko Ishiiの文字が飛び込んできたのにはびっくりした。オープニングイベントの企画として多くの観光客たちも目にしたに違いないが,それが何を意味しているか誰も知るまい。
 ベネチア映画祭は一般に良く知られるところだが,ベネチアビエンナーレは2年に一度開催される,100年以上の歴史を持つ,最も有名な現代アートの国際美術の祭典である。会期が夏の数か月にわたり,世界中の観光客がこのアートの祭典を見にやってくる。会場は庭園形式の専用のエリアの他ベネチア本島内の数か所にわたり,街中(島中)全体がアートフェスティバルの様相を呈する。我々の展覧会もこのアートフェスティバルの一環といえよう。

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