第11回 キルギスにて
イシク・クル湖
大型ホログラムの展示は1日限りで大急ぎで撤去し,国際会議のメイン会場は,ビシュケクからバスで半日移動したイシク・クル湖に移った。標高1600 m東西200 kmに広がる,琵琶湖の9倍の広さのこの内陸湖は,塩分を含んでいるため,冬も凍らないという。湖畔の景色は,まるで海岸の砂浜のようであった。旧ソ連時代の幹部の別荘地があり,外国人の立ち入りが長く禁止されていたため,「幻の湖」と言われていたと聞く。会場はその特別地区の一角にあった。宮殿のような建物こそないが,ホテルやコンベンションホールなどの施設があり,周囲はベルサイユ宮殿の庭を模したという,植生こそ異なるが幾何形体に整えられた植栽と幾何模様にデザインされた庭園が広がっていた。面白いことに,植栽の一部には花や果実をつける木が植えられていた。
講演会は翌日から2日間なので,到着早々,私は水に浮かべる屋外用のオブジェ(太陽の贈り物シリーズ)の組み立てにかかった。2時間ほどで完成し,インスタレーションの設置場所を選び,翌朝,実際の太陽の下で設置することとして,この日の作業は終了した。
会議参加者はキルギスの研究者のほか,ロシアのサンクトペテルブルクからデニシューク,ノボシベリスクの大学や,隣国のカザフスタン,ウズベキスタンなどの研究者たちが参加していた。発表の言語は英語だけでなく,6割以上がロシア語であったことは少し残念であった。
この日は参加者全員による晩さん会が催され,その後は宿泊するホテルの前に広がるイシク・クル湖のプライベートビーチに皆で出かけた。月明かりで私のホロのオブジェをぜひ見てみたい,できれば湖に浮かべて見てはどうかなどと話が勝手に盛り上がって,それではということで,私は完成したオブジェ2個を貸し出すことにした。砂浜では二次会の宴会を始めるグループ,夜風に吹かれ砂浜に寝そべる者,湖で泳ぐ者など,それぞれ自由な時を過ごした。参加者2人が各自ホログラムのオブジェを持って湖に泳ぎに出ていった。我々のいる湖畔からは月の位置は逆光となり,月光を反射するオブジェを見ることはできない。泳いで湖に出た者だけがそれを体験できるのである。
私は昨夜の星屑の体験を思いながら砂浜に寝そべって,360度広がる満天の星空をながめていた。そこには天の川が大河のように横たわっていた。夜もだいぶん更けたころ,そろそろホテルに戻ろうと,オブジェを探して周囲を見渡した。ところが,泳いで出た人たちはすぐ見つかったが,オブジェが見当たらない。持って出たホログラムはどうしたのかと1人に問いただすと,まったく悪びれもせず,「湖に浮かべたまま泳いでいたら,気がついたらどこかに流されてしまった」と言う。なんですって! 耳を疑った。あれは私のアート作品だ。どこかに流されてしまったとは何事か! それもビーチに戻ってきてすぐに私にそれを報告しゴメンナサイと謝るでもなく,問いただすまで知らんぷりとは・・・。もう1人もまったく同じ過ちを犯し,その後の態度もまったく同様なことに,とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。「あなた方は人から物を借りて,なくしても謝るでもなく,そのうえ知らぬ顔の態度はあきれて言葉もない。あなた方はアートとアーティストをまったくレスペクトせず理解もしていない」と,流ちょうではない英語で,彼らを皆の前で非難した。それでものらりくらりの彼らの態度からは,ゴメンナサイの一言も返ってこなかった。埒もあかないのでとにかく部屋に戻ろうと, 1人で歩き出した。敷地内であるから,ビーチから宿までは目と鼻の先であるが,その時,さりげなく参加者の1人が,エスコートのつもりか,一緒に宿の方に歩き出した。ウズベキスタンかカザフスタンからの参加者で,英語をまったく話せない人であったが,私の怒りの原因を理解していたことは顔の表情でわかった。予期せぬ優しい心づかいに,私の怒りも少しおさまった。
翌朝,ホテルでの朝食で,会議に参加する女性研究者たちが,片隅の1つのテーブルに皆固まっていっしょに食事をしているのが,私の目に留まった。私もその席にまぜてもらうことにした。女性同士まとまりやすく,少し遠慮がちな態度は,欧米の女性たちの振る舞いに比べ,ひと昔前の日本人のそれに似た感性を感じた。私は昨夜あった出来事を話したら,彼女たちも一緒になって憤慨してくれた。昨夜の出来事(私への態度)は,女性の社会的地位とも関連があるのかな?とうがった考えが浮かんだ
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