第17回 台湾交流録 part 3 ホログラフィーアート講座の始まり
新講座「ホログラフィーアート入門」
2009年前期に「ホログラフィーアート入門」講座が開講された。講座は公館キャンパスの光電研究所で催された。いろいろな分野の学生たちが受講して単位が取得できるクロスオーバーの講座である。Dr. Hsiehと石井との共同担当により,私は講座の最初の約1か月と最後の数週間だけ担当することになった。進め方は集中講座と同様だが,講義も実験も十分に時間をかけた。受講生は各自製作したホログラムにフレーミングを施し作品として完成させた後,展覧会で学内外に公開展示するまでを課程とし,最後に,採点し成績を付け,単位を与え修了とした。図5は受講生作品の一部であり,図6は展覧会会場風景である。多様な分野からの学生たちの作品のコンセプトはそれぞれ個性に富んでいた。感光材料にフィルムを使用したことで,曲げ加工も自由にでき,光源に白色LEDを使うことでコンパクトな展示も実現して,ホログラムの見せ方に多様性が生まれた。この中にはこの年の秋のHODIC大学ホロ展に出展した作品もある。後で知るのだが,この師範大学での講座は,残念ながら1回限りで終わってしまい,学長の交代とともにプログラムも長く継続しなかった。しかし,この講座は台湾でさらに続いていくことになる。
ベートーベン?
海外滞在で一番気になるのは,どこに宿泊するかである。5か月の間に,私には東京と台北の半々の生活という新たな体験が待っていた。学長のお声がかりで,メインキャンパスのすぐ近くにある大学のゲストハウス,家具調度品もそろった,1人には広すぎる(寝室2,書斎1,かなり広いLD)庭つき一軒家が与えられた。学期中,いったん東京に戻ったときも,荷物はそのままで家はキープされた。にぎやかな表通りから1本入った路に面した家は落ち着いた住宅街の一角にあり,時々外の喧騒が漏れ聞こえてくる。近くの夜市には観光客はほとんどおらず,現地の若者や学生たちであふれていた。屋台というより小さな店の集合体で,食べ物屋のほか,雑貨やファッション,本,パズル専門店までそろっていて,さすが大学街の夜市と感心し,毎日ふらふら歩きを楽しんだ。とにかく宵っ張りの国民で,夜中の12時ころまで町は喧噪である。そして,夜になるとよく「エリーゼのために」の曲が耳にはいってきた。
一軒家に住むことは,炊事,洗濯,掃除,そしてゴミ出しなどを全部自分でしなければならない(生活には当たり前の話だが)。最初に戸惑ったのはゴミ出し方法である。台北の街中,東京で見かけるようなゴミ集積所を見たことがない。いつどこにどうやってゴミ出しをしているのだろう? Dr. Hsiehに尋ねたら,「中心街に住んだことがないのでわからない,調べてみる」という返事が返ってきた。数日後判明したが,収集車の来る場所と時間帯が地域ごとに決まっているのだ。人々は収集車が来るのを待って,直接収集車にごみを手渡す。街中にごみを置く場所はいっさいなく,放置は絶対許されないのである。私の住む地域は夜の10時ころらしい。そして,収集車が来たのを知らせる合図を聞いて驚いた。なんと「エリーゼのために」であったのだ! それも台北市内だけではないようだ。え? え? ベートーベンが知ったらなんと言うだろうか?
もう1つ分かったことがある。台北市はゴミ分別が実にしっかり行われていた。収集スタッフの目の前でごみを出すので,適当は許されない。食べ物の残り,紙段ボール,プラスチック,一般ごみ,瓶,缶など多様に分別する。中でも,残飯類は家畜の飼料としてリサイクルされるとのことで,器や袋から中身だけを収集車の用意した大型バケツに入れ,そこに紙やプラスチックが混入するのは厳禁である。最近,中国本土では食べ残し禁止令が発令されたようだが,とにかく中華料理と食べ残しは1つの文化だと理解していた私は,台湾では残飯が飼料としてリサイクルされると知って,もったいない文化の日本人としては安堵したのだった。ホテル滞在であれば知る由もない事柄である。 <次ページへ続く>