窒化ガリウムを選んだのはやけくそでしたカリフォルニア大学 サンタバーバラ校 中村 修二
10年目にキレて青色を
それで,10年後にキレました。頭にきました。自分としては必死になってやって,3年,4年でちゃんと製品化しているのに,売れないものだから会社からは怒られるのです。蛍光体で稼いだお金を開発で使ってますからね。それで,もうキレてしまって,前からやりたかった青色LEDをやると決意したのです。青色LEDはこの世界の夢ですから,それまでも何度か上司に,やりたいと言ったことがありました。そしたら,大手や有名大学がやってもできないものを,うちみたいな中小企業がお金もないのにできるかと,いつも止められました。
でも,最初の10年がそんなふうでしたから,もう失敗してもいい,会社を辞めてもいい,というつもりで,直接,会長,社長に言いに行ったら,簡単にOKが出たのです。それと,過去の10年は少ないお金でやってきましたから,今度はお金を使おうと決めて,やけくそで,3億か4億円,僕に出してくださいと言いました。そしたらこれも簡単にOKが出たのです。
ついでに,フロリダ大学に1年間行かしてくれと言って,MOCVD(有機金属気相成長)を勉強しに行きました。
1989年に日本に帰ってきて,それから青色LEDの研究を始めました。これを始めるときに,過去10年を振り返って,それまでとはまったく違うやり方でやると決めたのです。
それまでやってきたのは,全部他人の真似なんです。文献を全部かき集めて,片っ端から一生懸命読んでやっていました。そうするとどうしても,無意識にひとの真似をするんですよ。頭の中に入っているんですね,概念が。先にやった人がこうだと決めつけたものが。
だから今度は文献を読まないと決めました。論文も本も一切読まないと決めたのです。
それから,人のやっていない材料ということで,窒化ガリウム(GaN)を選びました。当時,青色LEDというとジンクセレン(ZnSe)とかシリコンカーバイド(SiC)とかもあったのですが,もう大手がやってる材料は絶対やるまいと決めました。自暴自棄でGaNを選んだわけです。当時,名古屋工業大学の赤崎勇先生だけはGaNをやってらっしゃったのですがね。
外国でも,数は多くないのですが,いくつか窒化ガリウムの論文が出ていました。それもすべて無視,です。
できるなんて思ってなかったですよ。もう,やけくそですからね。ただ人がやってない材料というだけで選んだのです。
ZnSeを使ったレーザーは,スリーエムが1991年に発振に成功して,あとノースカロライナ大学とかカリフォルニア大学などがそれに続きました。
その頃,応用物理学会に行ったら,ZnSeは大講堂に500人くらい入って,まだ廊下に人が並んで入りきらない。GaNのほうは,発表者と座長がいて,あと数人(笑)。私は当時は発表してなかったので,一番後ろで黙って聞いていました。そんな感じです。
あるところで日本の有名な教授が立ち話をしてるのを聞きました。GaNなんかでLEDができると思ってる人がいるんだな,あんなものできるわけないのにな,と(笑)。それが当時の常識でした。結晶が欠陥だらけでボロボロですからね。やけくそでなければこんな材料はやれませんよ。