弱小メーカーのとるべき戦略を考え抜く幸運に恵まれました。(後編)モレキュラー・インプリンツ・インク 溝上裕夫
日本の半導体産業の問題点
溝上:日本は,生産技術とそのセンスはもともと優れていて,その結果多くの製造業が盛んになり,半導体に関しても世界のトップに躍り出ました。しかし,1985年あたりから,実は少しおかしいと感じ始めていたのです。というのも,アメリカではそのころ既に半導体の生産技術の学会が春と秋にありました。当時アメリカの半導体産業は日本に破れ,何とか挽回すべく生産技術を熱心に研究していました。先端技術の象徴たる半導体産業で後れを取ったため,国を挙げて勉強していたのです。そこでは大学の先生までもが動員され,半導体の製造ラインの生産管理手法なども研究されていました。日本の大学の先生はそういう研究はまったくやっていません。そのような状況を見て「奢れる者,久しからず」ではありませんが,私は日本の状態に疑問を感じるようになったのです。
一方,日本の半導体メーカーをみてみると,学会で発表できるような体系化された生産技術がないのです。当時の日本の半導体メーカーの生産技術というのは,現場での隠れた職人芸のような言い方をされており,技術として,工学としての取り組みに欠けていました。そのような状況に,日本においても発表の場を作り,また発表できるような技術の形にしようと,セミコンジャパンでのSEMI Symposiumで生産技術のセッションを作り,また国際学会I.S.S.M. ( International Semiconductor Symposium for Manufacturing)を発足させて,日本における生産技術研究の組織的活動を始めたのです。
そのころアメリカで出てきた言葉に「マニュファクチャリング・サイエンス」という言葉があります。製造科学ということですが,当時の日本にはそういった概念がありませんでした。確かに日本の半導体産業は世界一になりました。それだけの力があったことは確かなのですが,頂点に立ったときから大きなものを失い始めていたのではないかと思うのです。
聞き手:何か太平洋戦争と同じような展開ですね。歴史は繰り返すということなのでしょうか。
ところで,日本の半導体メーカーは韓国などのアジア勢に敗れて行きましたが,それはなぜなのでしょうか?
溝上:そもそも,統一理解,言いかえれば正しい分析と認識がなされていないことが問題です。
さまざまな要因があると思いますが,その一つは,技術者の力と経営者の能力の低下です。
そして先ほどお話ししたように,生産技術が停滞したことで価格競争になりました。さらに,重要な技術で米国に逆転されたことや,プロセス・デバイスの開発者にコスト意識が希薄だったことが根本原因です。これには言い訳はできません。これは,「マネジメントできない技術管理者と経営者の怠慢」というのは言い過ぎでしょうか。
聞き手:なかなか厳しい意見ですね。
溝上:組織を登りつめただけで,専門的な経営の勉強と経験に欠ける人達がトップになるのは,変化のときには対応能力において弱いと言わざるを得ません。これらのトップはMBAを取っている人はほとんどいません。極端な例ですが,抜きんでた業績を上げたトップは,例えば,ソニーの盛田さん,松下電器(現 パナソニック)を危機から復活させた竹中さん,今のキヤノンの御手洗さんなどは,皆長くアメリカにいてビジネスを実体験し学んできた方々だというのも一つの証左ではないでしょうか。
そして,学生のレベルの低下も日本のハンディになっていると思います。特に理工系学生の能力が低下しているというのは重大で,台湾や韓国から有能な技術者や経営者を引きぬく,「逆流の時代」の到来を感じさせます。
聞き手:“バブル崩壊”や“ゆとり教育”などのさまざまな影響がもろに出ている気がします。