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特別編(下)「良いものをつくるには,分からないことをひとつひとつ解き明かす必要がある」光産業創成大学院大学/浜松ホトニクス(株) 晝馬 輝夫

初めての商売は失敗

 その爺さんは,小僧っ子のときに金原明善という親分の所に弟子入りして丁稚小僧として鍛えられた人で,大人になって浜松銀行の支配人になって帝国製帽に金を貸したら焦げついた。それで,その責任をとって帝国製帽を立て直しに行った。言ってみれば左遷みたいなものだろうけど,つぶれかけた帝国製帽を再建した。
 まぁ,そういうような爺さんが,匿名組合という合資会社みたいなものをつくるから,そこで働けと言うわけです。「金をこれだけ出資するけれど,商売は全部お前の名前でやれ,ただしこれは匿名組合だから会社がもうけたら配当はよこせよ」という感じで(笑)。商売はまったく素人でしたから,「何を売ったらいいんだ? 」と聞いたら,「東京に丸善用品雑貨という卸屋がある。俺が手紙を書いてやるから,お前,行ってそこの社長さんが“これを持ってけ”と言う物を持って帰って,“いくらで売れ”と言われたらその通りに売れ」と。それで商売を覚えろと言うんで,とにかく東京に出て丸善へ行ったら,非常に親切にいろいろやってくれて。リュックいっぱいに荷物を詰めて帰って,それを小さな店先に並べた。何が売れるか分からないで仕入れていたから,今思えばいいかげんな商売だった(笑)。
 そんなことで商売を始めたわけですが,浜松は当時繊維の町だったんで,東西から行商の担ぎ屋が布地を仕入れに来る。仕入れ先を探してウチの店にも来るもんですから,中学の同級生でそういうのを扱っているやつに声をかけてみたら「じゃあ綿布やら何やら持ってきてやるよ」ということになって,仲介の口銭をもらうというようなことも始めたわけです。だけどある日,仕入れた物を持って帰るのが面倒くさくなって鉄道で送ったら,警察に見つかって没収されちゃった。それがその後のつまずきの発端になった(笑)。

“うんか”と台風に裏切られ

 そのようなことがあった後に,新たな商売の話がきた。横須賀にあるDDT の撒布機の会社が,製品を浜松近辺で売りたいというのでこっちで顔の広い人間を探していて,たまたま私の名前が挙がった。当時は“うんか”(害虫)がでるとDDT を撒いたんですね。「まぁ,闇市やってるよりマシやろ」と思ってその仕事を引き受けて,県の農業試験場や農家に持って行って「こうやって撒くんですよ」とやってみせて撒布機を売る。単に「殺虫剤を撒く」といってもそう簡単じゃなくてね,空気の上の方が暖かくて下が冷たい“逆転層”のときに撒かないと,DDTが上昇気流にのって空に撒かれることになってしまう。じゃあ逆転層になるのはいつかというと日の出前だということで,「それじゃあノコノコ遠くから通ってたんでは駄目だ」と,農家に泊まり込んで朝早くからやった。
 そういうような,今でいうとデモンストレーション販売みたいなことをあちこち回ってやって,「さぁ,うんか来ないか!」と待っていたら案の定,大発生したんですね。でも静岡で発生した頃には,東京,大阪,東北の米どころにも発生しているわけで,こちらが発注をかけたときには「機械はすべて売れちゃってもう無いよ」とメーカーが言うのです。「そんなこと言わないでよ,今まで農家を回っていろいろ努力したんだから」と言ったら「それじゃあ5 台送ってやらぁ」ってね(笑)。「農家がみんな欲しがってるのに5 台ばかりじゃしょうがねぇ,もっとよこせ!もっとよこせ!」ってなことでギャーギャー騒いどったわけです(笑)。
 そのうちにうんか騒動も一通り収まったわけですが,ここが素人の哀しさで,前回台風が来た後にうんかがでたもんで「また台風が来そうだから今度も…」というわけで,柳の下の2 匹目のドジョウを狙って「なんぼでもいい,あるだけの撒布機の在庫を貨物列車で俺の方へ送れ」とメーカーに頼んで送ってもらった。そうしたら台風は来たけどうんかはまったく発生しなかった(笑)。そこで売れないやつはどんどん送り返せばよかったのに,そういうことまで考えてなくて。ちょっとずつ売っているうちに運転資金が底をついて,結局のところは破産。それで相棒と一緒に「どうする?」ということになって,「ここにいてもしょうがないからまず逃げるか」ってわけで(笑)。

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