これからの時代は光学やエレクトロニクス中心の物理教育であるべきではないでしょうか。東京大学 名誉教授 霜田 光一
太平洋戦争と研究生活
大学に入学したのは昭和16年の4月で,その年に太平洋戦争が始まりましたから,入学してすぐに戦時体制に入ったわけです。軍事教練が厳しくなり,自由な学生生活を送ることができなくなりましたが(図1),昭和17年頃までは敗色も色濃くなく,夏休みには研究のため山中湖の寮に出かけたりもしていました。まだその頃は,研究のためなら閉鎖されていた寮を使用することができ,避暑と論文作成を兼ねて仲間6人と連れだって山中湖まで出かけて行ったのです。
この時書いたのが,「風の息についての研究」というタイトルの論文です。この論文は,風の揺らぎの研究で,寺田寅彦の弟子であった平田森三先生の講義を聞き,その影響を受けて書いたものです。
この時は論文の作成もさることながら,私がヨット部員であったこともあり,艇庫からヨットを引っ張り出してきて,みんなで乗ったことも良い思い出になっています。
余談ですが,ヨットに関しては,現代の国民体育大会にあたる明治神宮国民練成大会において2人艇で2位になったことがあります。練習は主に横浜のヨットハーバーで行っていましたが,大学対抗の試合がある時などには琵琶湖に遠征したりもしていました。横浜にしろ,琵琶湖・山中湖にしろ,地形が変わると風の状態はまったく異なってきますから,私が風の揺らぎの研究をしよう思ったのもヨットをやっていたからかもしれません。