これからの時代は光学やエレクトロニクス中心の物理教育であるべきではないでしょうか。東京大学 名誉教授 霜田 光一
研究と教育
現在はそうでもないのでしょうが,私の時代は先生方から「大学では研究だけでなく,教育も責任を持ってやらなくてはいけない」とよく言われたものです。平田森三先生などはその最たる人で,私が物理教育の道に入ることになったのも,平田先生の教えによるものが大きかったと思います。実際に1960年頃にアメリカで物理教育の現代化プロジェクトにより組織されたPSSC(Physical Science Study Committee)のセミナーが日本で最初に開催された時は,平田先生のお誘いを受けて参加しました。実は,それは私が研究として物理教育に取り組んだ第一歩だったと言っていいかもしれません。
PSSCのセミナーに参加した当時私はまだ物理教育学会には所属していませんでしたから直接物理教育について発表するといったことはありませんでした。しかし,戦後教育制度が新しくなり,高等学校の物理の教科書もそれに伴い新しく作る必要があるということで,茅誠司先生が中心となって物理の教科書を作成した際には,執筆者の末席に加えさせていただきました。
この教科書は昭和25年頃から執筆に取りかかり28年に検定が済みました。執筆陣は茅先生を始めとして,平田先生,山内恭彦先生,高橋秀俊先生,蓮沼宏先生,木原太郎先生といった蒼々たる面々でした。
その他にも大学生用の教科書も昭和26年に出版しています。当時は出版事情が今ほどよくない時代ですから原稿ができてから印刷が終わるまでに1年以上はかかっていました。
教科書の執筆には苦労が伴うだけでなく,多大な労力を必要としますが,さまざまな人から「この教科書で勉強した」という言葉を聞くと,嬉しさはひとしおのものとなります。
当時は戦後の新しい教育制度ができ,教育方法を一新しなければいけない時でしたから,理科や物理教育にしても,「大学の教員がその責任を持つべきだ」といった考えを持っていた方が多かったと思います。
今振り返ってみると,私は新しい制度の始まりが人生の岐路になっている場合が多いような気がします。大学院特別研究生もそうですし,助教授になった時も新制大学などがスタートした年にあたりますから。