若手は幅広くチャレンジしてほしい(株)ニコン 市原 裕
最先端装置の計測にかかわる
聞き手:大学院を修了されて,そのまま日本光学工業(株)(現在の(株)ニコン)に入社されたのですか?市原:ええ。石黒先生の紹介で。
聞き手:ご自身は「ニコンならば」という感じで入られたのですか?
市原:いや,実は日本光学という会社は知らなかったのです。今だったらあり得ない話ですけれど,当時はカメラも持っていなかったので。でも,先輩たちが「ニコンはいい会社だよ」と言ってくれて,「そうか」ということで入りました。それが昭和48年のことです。
当時,ニコンの一眼レフカメラはすごく有名だったのですが,ニコンは高級カメラしか出していなかったのです。一般庶民が使うようなカメラは販売していなかった。わたしが入社してだいぶたってから,普及型の一眼レフを出しました。そんなことが話題になるぐらいの会社でした。高級シャンパンメーカーがワインを出したというような感じです。
聞き手:ニコンに入られて,最初にどういった関係のお仕事に就かれたのですか?
市原:第二光学研究室というところに入ったのですが,室長があの靏田匡夫さんだったのです。靏田室長直々に指導を受けられたので,非常に良い経験ができて幸せだったと思います。そこは面白い研究室で,「光学」という名前が付いているのですが,メカ屋も電気屋もいる。ですから,何でもできてしまう研究室でした。それが非常に良かった。優秀な人たちと一緒にものづくりをしたり,勉強したりしたことは,非常にためになりました。
聞き手:研究室の目的は,具体的に何だったのでしょうか?
市原:限定はされていませんでした。いろいろなことをやっていましたね。例えばわたしがやったのは,焦点距離測定機とか,プロキシミティ(非接触近接露光方式)半導体露光装置の光学シミュレーションとか。ニコンは半導体露光装置の開発と販売で大きく売り上げを伸ばしたのですが,その最初がこのプロキシミティ露光装置なのです。これとは別に,精密な投影レンズを別の目的で作っていて,これらが合体してニコンの大黒柱となる投影露光装置ができたのですね。
聞き手:面白いお話ですね。ご研究内容には「白色干渉」というものもありますが,これはどのような研究なのですか?
市原:普通のレーザー干渉計では,レーザーを使った単色光を利用しますが,白色光でもうまくやれば干渉するのです。光源から出てミラーで反射して返ってくる光と,別の光路を通って返ってくる光の光路がぴったり合っていれば,干渉縞が出るのです。逆にいえば,その距離をぴったり合わせるために白色干渉が使えるということです。非常に高精度な距離合わせに利用できるのです。
これは,レンズの厚みを正確に測る目的で開発しました。一般には平行平面板を使ってサブミクロンレベルの測定ができるのですが,これでレンズの厚さを正確に測るのは非常に難しいのです。そこで,レンズと同じ材料の平行平面板を使ってレンズと平行平面板の暑さの比較をしました。そのとき,白色干渉計を使って2つのものを干渉させて,表面同士と裏面同士とで白色干渉縞を出させたのです。そうすると,厚みがまったく同じだと両面に同時に干渉縞が観測できます。実際には厚みが若干違うので片側の面しか干渉縞が出ないのですが,片一方を少しずつずらしていって合わせてやると,そこでまたもう一方の面の白色干渉縞ができます。その微少に動かした量から,厚さの差が分かるという干渉計を作ったのです。その目的は,半導体露光装置用のレンズの厚さ測定でした。
聞き手:半導体露光装置はさまざまな技術をけん引しているのですね。
市原:そうです。そういう意味で,私の仕事の半分以上は,露光装置にかかわっているんじゃないかと思います。最先端の装置の計測をやってきたということで,非常にやりがいがありましたね。
市原 裕(いちはら・ゆたか)
1973年,東京大学理学系研究科相関理化学専攻修了。同年,日本光学工業(株)(現 (株)ニコン)に入社し,研究所第二光学研究室に配属。研究室長である靏田匡夫氏の指導を受ける。1984年に精機事業部精機設計部第二開発設計課に異動し,半導体露光装置の開発や計測にかかわる。1988年,光学部開発課に所属。このころより,国際標準規格に携わる。2002年,コアテクノロジーセンター光学技術本部長兼光学技術開発部ゼネラルマネジャー。2003年,執行役員,コアテクノロジーセンター副センター長兼光学技術本部長。2005年,取締役兼執行役員。2006年,ISO/TC172/SC3国際議長。同年,研究開発本部長。2007年,常務執行役員。2008年,顧問兼市原研究室室長。現在に至る。