やりたいことがまだ山ほどあります東海大学 名誉教授 佐々木 政子
学生とはいつも真剣勝負
聞き手:確かにゆとり教育以降,そういう学生が大幅に増えましたね。そうした“指示待ち症候群”のような若者たちが目立つようになってきたのはどうしてなのでしょうね?教育の問題でしょうか?佐々木:確かに教育の問題はあると思いますよ。
聞き手:どうしてそうなるのでしょう。
佐々木:少子化で親が構い過ぎたことにも一因があると思います。大学で不登校の学生もいますよ。
聞き手:大学生で,ですか?
佐々木:もちろんです。いっぱいいますよ,今。
聞き手:そうなんですか……。
佐々木:はい。わたしのところでもそういうケースがあって,夏休みに毎日,その男子学生の下宿までジュースを持って通ったことがあります。1日目はドアも開けてくれません。2日目もノックしてもダメ,3日目になってようやくちょっと顔を出してくれました。それでお話をして,4日目にはジュースを飲んでくれて。そうやって話をしていけば,いずれちゃんと卒業研究に戻ってくれます。卒業式の日にはその学生のおじいさまが彼と一緒に私の家までやって来てくださって,おじいさまがその学生に向かって「先生に謝れ」とおっしゃるのです。その学生がそういう状況を毎日おじいさんにちゃんと話していたこともすごいと思いましたね。それで,「卒業させてくださってありがとうございました」って言ってくれて。その場でその学生はもうグシャグシャに泣いてしまって,ティッシュを1箱使ってしまいました。
聞き手:いい話ですね。
佐々木:わたしはいつも真剣勝負ですから。学生はわたしの鏡。わたしが怠けるとちゃんと怠ける(笑)。授業もそうですよ。「ちょっと今日は疲れているから手抜きをしよう」と思うと,学生もちゃんと手抜きをします。だから,わたしは学生とはいつも真剣勝負。そうすれば思いは必ず伝わります。
東海大に移った時に,1年生に化学を教えることになりました。初めてのことなので困っていたところ,藤嶋昭先生が「僕がどうやっていると思う?」と言って教えてくれました。最初の授業で「みんな,この科目で知りたいことある?」と聞くのだそうです。そして聞いた結果を黒板に書き連ねていきます。その上で「これとこれを組み合わせて,今期はこういう授業をやるね」と言って決めるというのです。「いいことを聞いた」と思い,わたしもそれをまねしようと思いました。「化学でみんな何が知りたい?」って。でも,ノーコメントでした(笑)。東大の藤嶋先生のところとはそれだけ意識が違うのですね。学びたくて来ているわけじゃなくて,教養課程で仕方なく来ているのです。
そこで,いろいろ工夫しましたね。主任教授のところに行って「航空宇宙学科では何を教えてほしいですか? 化学の分野で」とうかがったり,金属工学科の学生には,ソ連に行ったときに買ってきた寺院の鐘の音の入ったテープを聞かせて「日本のものとどう違う?素材が違うと音も違う」と教えたり。航空宇宙学科では,クラスに女性は6人ぐらいしかいないので,「お昼,一緒に食べよう」と誘ってそこで「みんなは将来をどう考えているの?」と聞いてみたり。院生の授業では,最終日に必ずお昼を全員一緒に食べたりしました。もちろんわたしの招待です。
わたしの研究室では,必ず合宿をしました。また,工場見学。工学部の学生が現場を知らずして世の中には出られないので,研究所と工場を年に1回必ず見に行くようにしていました。5月の連休にはバーベキューに連れていきます。そこで,リンゴのむき方まで教えますよ。むいて見せると「えーっ?」と驚いたりします。自分で野菜を初めて切ったり,お肉を切ったりしているうちに和気あいあいとした雰囲気になるでしょう。日常マナーを身につけながら,研究室に一体感が生まれる。そういうことをしてきました。
聞き手:いいですね。すばらしいな。
佐々木:そうやっていかないと日本は良くならないと思うから……。わたしのところを卒業した学生で社会に出てめげている子はいないのじゃないかしら。みんな,今ではトップリーダーだと思いますよ。
聞き手:そうしたやり方のきっかけになったものはあったのですか?
佐々木:東大生産研菊池研のやり方ですね。そこではすべて「研究は自由にやりなさい」という風潮でした。「自分で考えて自分でやりなさい」という。おかげで,とにかく仲間内ですべて解決していくことが身に付きましたね。さらに,必死で自分の研究テーマの意味を考えるようにもなりました。
ちょうど大学闘争のころ。所内に「助手共闘」というものができました。普通,「共闘」といったら激しく抵抗活動するイメージですよね。ところが東大生産研では「共闘」と称して技術論研究会を実施したのです。第1部から5部までの各部の助手が話題を提供する。第5部の建築の方が当番だったときには,「建物のプロトタイプは何か,穴か,屋根か」という内容で2時間も議論するのです。「霞ヶ関ビルができて初めてビル風を知った日本」というところから始まるんですよ。プレハブというものが出だして,それには「規格が必要なんじゃないか」という議論とか。そのころ,ちょうどマンモスタンカーが何隻も折れてしまっていたので,「非破壊検査が必要じゃないか」,「非破壊検査とはどういったものだ」という議論が起きる。みんなそんな感じ。そういうところで育ったから,行き詰まると「研究の原点は何か。プロトタイプは何なのか。何を考えて始めたのだっけ?」と必ず考えるようになります。そうすると,いろいろな「気付き」が出てくることが多いのですよね。
佐々木 政子(ささき・まさこ)
1961年,東京理科大学 理学部化学科卒業。同年,東京大学 生産技術研究所に文部技官として入所。1975年,東京大学 生産技術研究所 文部教官助手。1975年,東海大学 情報技術センター専任講師。1976年に東京大学にて工学博士号取得。1978年,東海大学 開発技術研究所助教授と同情報技術センター助教授・同工学部光学工学科助教授を兼任。1987年,東海大学 開発技術研究所教授と同大学院工学研究科を兼任。1997?2002年,東海大学総合科学技術研究所教授・所長付・同大学院工学研究科を兼任。1999?2002年,東海大学 総合研究機構研究奨励委員会委員長。2001?02年,日本光生物学協会会長。2003?07年,日本女性科学者の会会長。2003?07年,東海大学 特任待遇教授。2008年,東海大学名誉教授。現在に至る。専門分野は生命と環境にかかわる光科学。1994年度,東海大学松前賞,2005年度,東京理科大学博士会坊ちゃん賞,2007年度,第1回 日本光医学・光生物学会賞など,受賞多数。ほかに多くの審議会委員や学会理事などを勤める。