やりたいことがまだ山ほどあります東海大学 名誉教授 佐々木 政子
若手研究者の活躍が望まれる日本
聞き手:今の日本の研究事情はどうお考えになっていますか? 特に若い人たちに向けて。佐々木:わたしは講演などで,若い研究者たちに必ず伝えることがあります。自立した研究者の条件は四つある。第一は,心身ともに健康なこと。集中と休息の大切さを知る。健康を害すると思考力も低下します。実はわたしは乳がんなどの大病をいくつか体験し,健康の重要性を実感しました。第二は,専門知識に基づく研究能力の発揮,常に専門知識を磨くこと。第三は,コミュニケーション能力を身につけること。国内外の学会発表や多様な人との意見交換が必要です。第四は,味わう心を持つ。これらを考えながら努力すると,研究は順調に進むと思います。
しかし残念なことに,日本はいま若い研究者が活躍しにくい国になっていると思います。安定したポジションが得られない。定年後再就職したえらい方たちが牛耳り過ぎていると思っています。この方たちはサポーターに回るべきです。彼らがイニシアチブを取っている限り,日本は良くなりません。そういう方たちが国の要所要所を占め過ぎています。5年先に現場で活躍できないような人たちが,なぜそんなところにいるのでしょうか。日本を良くするためにはトップが変わらなくちゃダメです。そういう人たちは「バトンタッチする」ということを考えてほしい。真剣に次世代を育てなければならないのに。でも,若手にも真摯なはつらつさを期待しています。
聞き手:おっしゃる通りですね。
佐々木:それと,この国はポスドクを2万人作りましたよね。多くの方たちは受け皿がなくて現在,大変困っています。何のために作ったのでしょうか。科学技術立国のためだったのじゃないですか。そういう人たちが働ける場を提供しなければいけません。今,多くの方たちが派遣会社を通して3カ月契約や6カ月契約で働いています。研究って10年や20年のスパンで考えるものじゃないですか。それを3カ月,6カ月契約って……。国策としてポスドクを作ったのですから,働く場も国が創出してほしいと思います。
さらに,日本にはスーパーバイザーがほとんどいませんよね。「トランジスタの父」と呼ばれるShockleyみたいな。ああいうスーパーバイザーが不足しているから研究が盛り上がらない。
聞き手:おっしゃっている「スーパーバイザー」の定義はどのようなものですか?
佐々木:自身が研究者であって,すべてオーガナイズできて,見通しができて,将来こういう展望でやれるからこの部署にこういう人たちを置こうと考えられる人。そういう意味では,理化学研究所の大河内正敏さんはロールモデルの一人ですね。各研究室を全部回って歩いたそうですよ。しかも,「お金のことは心配するな」って。それで自由に研究させた。
聞き手:最近は,なでしこジャパンの活躍などを見ても,日本を元気にする原動力は女性にあるような気がしますね。
佐々木:先日,アメリカ人の先生がやってきて「佐々木君,これを読んで」と言って「The End of Men」という『The Atlantic』という雑誌に載っている記事を見せられました。記事には,2010年にアメリカでは女性が労働人口のmajorityとなり,企業のマネジャーも同様であると書いてありました。学士の男女比率が2:3になったとも。「脱工業化社会だからか」と分析していましたが。さらに同年7月12日号の『Newsweek』にも「Women Will Rule the World」というタイトルで10ページの記事が掲載されていました。これには,びっくりしました。こうなると,女性自身の自覚がとても重要となりますね。
佐々木 政子(ささき・まさこ)
1961年,東京理科大学 理学部化学科卒業。同年,東京大学 生産技術研究所に文部技官として入所。1975年,東京大学 生産技術研究所 文部教官助手。1975年,東海大学 情報技術センター専任講師。1976年に東京大学にて工学博士号取得。1978年,東海大学 開発技術研究所助教授と同情報技術センター助教授・同工学部光学工学科助教授を兼任。1987年,東海大学 開発技術研究所教授と同大学院工学研究科を兼任。1997?2002年,東海大学総合科学技術研究所教授・所長付・同大学院工学研究科を兼任。1999?2002年,東海大学 総合研究機構研究奨励委員会委員長。2001?02年,日本光生物学協会会長。2003?07年,日本女性科学者の会会長。2003?07年,東海大学 特任待遇教授。2008年,東海大学名誉教授。現在に至る。専門分野は生命と環境にかかわる光科学。1994年度,東海大学松前賞,2005年度,東京理科大学博士会坊ちゃん賞,2007年度,第1回 日本光医学・光生物学会賞など,受賞多数。ほかに多くの審議会委員や学会理事などを勤める。