いかに執着できるかに尽きる立命館大学 教授 小野 雄三
ホログラムは回折光学素子そのもの
聞き手:それは大変おめでとうございます。大学へはいつごろ移られたのでしょうか?小野:1999年に移りました。その直前,会社で早期定年制度が正式にできまして,それを使って退職しました。冒頭で申しあげたように,大学を中途半端に卒業したために何となくやり残した感じがあることと,研究所の次は大学へ行くのかなという漠然とした感覚も持っていましたから。ちょうど立命館大学に光工学科という学科ができ,その1期生が4年生になる春に向けて公募があったので,それに応募して立命館に行きました。
聞き手:大学ではどのようなテーマのご研究に携われたのですか?
小野:企業でやっていたことと同じことを大学でやっても仕方がないと考えましたが,干渉露光でまたモノを作ろうということは変わらず,今までの2次元パターンから1次元増やして3次元の周期構造を作ろうと考えました。これはすなわちフォトニック結晶のことですね。ちょうど2000年に仙台でフォトニック結晶の国際会議があり,そこに行く機会があって,非常に面白いと思ったのです。
フォトニック結晶は,通信用のデバイス向けにいろいろ研究が進んでいますが,光学材料として使っても非常に面白いのですね。異方性が大変大きいとか,分散が大きいとか,光学材料として利用価値が非常に高いと思っています。ガラス材料と同じようにフォトニック結晶で作った光学材料ができればよいと考え,今でも研究を続けています。SPIEのGold Medalを受賞したホログラフィーの大御所のH. John Caulfieldが,その記念講演で「フォトニック結晶はホログラムである」と述べたのを聞いて,わが意を得たりという気持ちでした。
聞き手:具体的にはどのような応用分野が考えられるのでしょうか?
小野:3次元結像への応用があります。普通のレンズは,ある面を結像しますよね。面から面へ結像するわけです。もちろん背景なども写っていますが,それは倍率が変わって写っているだけです。フォトニック結晶でレンズのようなものを作ると,遠くのものは遠くに結像され,近くのものは近くに結像する。ですから,倍率も正しい。そんな応用が考えられます。ただ,それはまだ理論上の話で,そういうことが実証できるほどの結晶を誰もまだ作ったことはありません。
聞き手:唐突で恐縮ですが,小野先生にとってホログラムとは何なのでしょうか?
小野:口幅ったい言い方をすると,回折光学素子そのものがホログラムというふうに私は思っています。3次元像を形成するホログラムは盛んに研究されていますが,夢としてそれはそれで正しいのですが,実用性や事業性を考えると,やはりホログラムは回折光学素子なのかなという感じを持っています。おととし,応用物理学会からフェローの称号をいただいたのですが,その理由が「回折光学分野の形成に寄与した」ということでした。「ホログラム光学素子の研究開発による回折光学分野の形成」というのがフェローの称号をいただいた時の表彰理由です。
聞き手:回折光学系の魅力とはいったい何なのでしょう?
小野:普通の光学系というものは,だいたい屈折と反射でできていますね。実は回折を使って同じようなことができるのです。同じだけではなく,屈折や反射ではできないいろいろな新しい機能を取り込むことができます。ホログラムピックアップなどに使った技術はまさにそういうものですね。
回折光学系ではいろいろな機能を複合することができます。例えばピックアップの例ですと,ビームスプリッターの機能と焦点誤差の検出機能,トラック誤差の検出機能が1つのホログラム素子で実現できます。反射や屈折を使った光学素子では,それぞれの機能に1つの素子が必要になります。ただし,回折で何でもできるわけではありません。だから,どういうところにうまく使うかが知恵の出しどころになります。デメリットをはるかに上回るメリットが出せる使い方がいくつもあるということです。
最近では,キヤノン(株)が望遠レンズの色収差補正に回折素子を使いました。普通,回折素子がうまく使われるのは単波長の場合なのです。レーザーのようなほぼ1つの波長の場合,回折光学素子で非常にうまくいった例がたくさんあります。でも,白色光への応用はありませんでした。5~6年ぐらい前にキヤノンが初めて白色光に回折光学素子が使えるという発表をし,わたしにとっては非常にエポックメーキングな発表となりました。どこからああいう発想がでるのか知りたいと思ったものです。ハーモニックフレネルレンズという複数の高次回折光を白色光に使う考えは1994年ごろにはあったのですが,次数が1つ違う2枚を重ねて差の1次光にするのは,非常に斬新な考え方です。
聞き手:むしろ発想法の方にご興味を持たれたのですね。
小野:いろいろと考えてみたところ,新しいことというのは割とアナロジーから出てきている例があることに思い至りました。先ほどのフォトニック結晶も電子結晶からのアナロジーなんですよ。その電子結晶も,光からのアナロジーがあって発展したのです。
学生によく話すことですが,ニュートンの時代には「光は粒子だ」と考えられていましたが,その後,ホイヘンスの波動説というのが出てきて,それがヤングの実験で確認されたのです。しかし今度は,光電効果やコンプトン効果など波動では説明できない現象が出てきて,アインシュタインたちがいろいろとうまく粒子性で説明したわけです。粒子といっても古典粒子ではなく,あるエネルギーを持った,今でいう光子ですね。「光は粒子でもあり波動でもある」という二重性と呼ばれる考え方に落ち着いたのです。
さらにその二重性は電子にも当てはめられました。電子は,ミリカンの油滴の実験によって質量と電荷の比が測られています。質量が測れるということは粒子と考えられるのですが,それに二重性――波動性を当てはめるとどうなるかと考えたのがドブロイですね。そこからシュレディンガーがシュレディンガー方程式を考えて,その結果として出てきた電子結晶の考え方によって今の半導体産業が隆盛を誇っているわけです。さらに電子結晶から,今度はアナロジーでフォトニック結晶という光の世界に移っていく。光から電子,電子から光というふうに,ピンポンのように新しい概念が広がっていくのです。一方,「突然の飛躍」というものもありますよね。わたしは,キヤノンがやった成果はこの突然の飛躍に類するものと思ったので,そのアイデアの出どころに非常に興味を持ったのです。でも,結局分かりませんでしたね。
あるとき,中野重治という小説家が,「小説家として必要な才能は何か」と問われた時に,「小説を書くことに対していかに執着できるかである」と答えたそうです。その「執着」という言葉を聞いて,わたしもハタとそう思いました。何も小説だけではなく,研究や開発,科学技術の世界も一緒で,いかに問題解決や開発に執着できるかということに尽きるのではないかなと思います。
聞き手:そういう意味では「執着」とはいい言葉ですね。
小野 雄三(おの・ゆうぞう)
1970年,東京工業大学 理学部応用物理学科卒業。同年,日本電気?に入社して中央研究所に配属。光磁気メモリー,ホログラフィックメモリー,高速レーザープリンター,ホログラフィックレーザー・スキャナー,POSスキャナー,CD-ROM用および光磁気用ホログラムヘッドなどの光情報機器,回折光学,光記録等の研究開発に従事。1999年,立命館大学理工学部教授に転出。ホログラフィックリソグラフィーによる3次元フォトニック結晶の形成と特性解析の研究に注力。現在に至る。工学博士(1985年 東京工業大学)。応用物理学会光学論文賞,新技術開発財団市村賞,科学技術庁長官賞(研究功績者表彰),経済産業省国際標準化貢献者表彰など受賞。応用物理学会フェロー,ISO TC 172/SC 9/WG 7 コンビーナー。