何か新しいものを作っておくと,誰かが面白い応用を考えるものです東京工業大学 学長 伊賀 健一
特許の確保よりも産業の育成が先決
聞き手:1988年に面発光レーザーの室温連続発振を達成された後,国際学会でセッション部門が新設されるなど,毎回学会内で引っ張りだこだと伺いました。研究・開発の競争も激化していると思うのですが,面発光レーザーに関する世界特許がそろそろ消えかかっているのではないでしょうか。伊賀:面発光レーザーの特許は,1979年ごろにマイクロレンズというものと一緒に出しました。私は40件ほど特許を出していますが,成立したものもありますし,当然切れているものもあります。面発光レーザーの特許に関してはほとんどが切れていますが,どこかの工場が駄目になるとか,差し押さえがあるとか,そういう話は聞きませんから,大丈夫ではないかと思います。多くの特許が出ていると思いますが,まだ,シリコンのLSIのような巨大な産業にはなっていませんから,産業をつくることが先です。 特許紛争などやっている暇はないということです。似たような話では,水晶振動子があります。これは,東工大の古賀逸策教授が発明したもので,腕時計や通信機,テレビなどに多く使われていますが,特許が成立していない面白いデバイスです。私が東工大に入った時,古賀先生は東京大学へ移られていましたので講義を聴くことはできませんでしたが,古賀先生の後継者である福与人八教授の研究室に助手として入りましたので,私も古賀研の流れをくむ一人なんですよ。古賀先生と同じ研究をドイツとベル研究所でもやっている人がいて,1932年に古賀先生の電気学会講演論文が出た数日遅れで,ベル研究所も発表したのですが,この数日の差がベル研究所の特許を阻止したのです。日本の学会で発表することが,いかに大事か分かると思います。米国の学会で発表するよりも先に日本の学会で発表してあれば,後から海外で特許を出されても,保護されますからね。
以前の国立大学は国の予算で「皆さんのために」研究するという意識でしたから,私はアイデアなども学会で発表してきたわけですし,特許で何とかしようという考えはあまりありませんでした。学会で発表してしまえば,公知の事実になりますから特許は取れませんし,「特許は取れないほうが発展する」という考え方もあります。後は技術や使い方の勝負になれば,産業は発展するわけですから,それはそれでいいのではないかと思います。特許を取るのは大変ですし,当時はそういう雰囲気でもありませんでしたから。今は状況が全く違い,国際的にも日本の知財戦略がありますから,大学の知財もますます重要になってくるでしょう。学長としても,「知財は大事だ」と考え,知財関連の部署をつくったりしています。 <次ページへ続く>
伊賀 健一(いが・けんいち)
1940年広島県出身。1963年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1965年同大学院修士課程修了。1968年同博士課程を修了し工学博士に,同年精密工学研究所勤務。1973年同助教授に就任,同年米ベル研究所の客員研究員兼務(1980年9月まで)。1984年同大学の教授に就任。1995年同大学精密工学研究所の所長併任(1998年3月まで)。2000年同大学附属図書館長併任(2001年3月まで),同大学精密工学研究所附属マイクロシステム研究センター長併任(2001年3月まで)。2001年3月定年退職,同大学名誉教授。2001年4月日本学術振興会理事(2007年9月まで),工学院大学客員教授(2007年9月まで)。2007年10月東京工業大学学長就任,2012年9月末退任。●専門等:光エレクトロニクス。面発光レーザー,平板マイクロレンズを提案。高速光ファイバー通信網などインターネットの基礎技術,コンピューターマウス,レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築く。応用物理学会・微小光学研究グループ代表。日本学術会議第19,20期会員,21期連携会員。町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者,町田フィル・バロック合奏団の主宰者でもある。
●1998年朝日賞,2001年紫綬褒章,2002年ランク賞,2003年IEEEダニエル E. ノーブル賞,2003年藤原賞,2007年 C&C賞,2009年NHK放送文化賞ほか表彰・受賞。