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光が我らを導く果てまで ~光の導く交流が研究成果へつながる原動力に~横浜国立大学 理事(総務・研究担当)・副学長 國分 泰雄

Michel A.Duguay博士(Mike)との出会い

聞き手:ベル研究所客員研究員の1年間は,國分先生にとってどのような時期でしたか。

國分:研究者にとっては,夢のような時期でした。日本では教員が身の周りのこともすべてやりますが,ベル研究所では掃除をしていると,「掃除をさせるために雇っているのではない。研究をさせるために雇っているのだ」と注意を受けてしまうほど,研究に専念する環境づくりが徹底されていました。勤務時間には決まりがなく,夜間でも研究所内の出入りは自由で,時間を問わずに必要な参考資料を閲覧することも可能でした。実験器具・道具,文房具など研究に必要な物は,専用伝票を使って研究所内のショップで購入し,支払いはデパートメントヘッド(部長)に請求されるシステムになっていました。
 私が在籍していたベル研究所は米国ニュージャージー州のホルムデルにあり,建物は4棟の7,8階建のビルを並べガラス張りに全体を囲み,中心部を最上階まで吹抜けにしたデザインでした。冷暖房などのエネルギー消費を考えると「なんて無駄なことをするのだろう」と否定的にみる半面,大きな吹抜けによる空間はまるでビルの谷間にある街並みのようで,研究所内は冬期でも暖かい気温で街歩きしたり,レストランで食事ができる快適な空間が提供されていました。建物自体にも工夫が施され,例えば間口が非常に大きいエレベーター,部屋のパーテーション機構により,大規模な装置を搬入することも可能です。
 こうした研究所のシステムは一種の発明であり,発明王として知られるThomas Alva Edisonの発明の1つに数えられるそうです。Edisonは,電球を発明するためにフィラメントの素材を世界中から取り寄せるのに苦労した経験から,研究に必要になりそうな素材を世界中から集める仕組みを構築したようです。また,研究所を作った時は研究員にどうやって成果を出させるか,研究成果が出やすい環境とは何かと考え,研究員がいつでも出所し退所できる体制も考案したようです。

聞き手:ベル研究所ではどのような研究に取り組まれていたのですか。

國分:勤務し始めた当初は,シリコンとInP半導体デバイスの集積化を研究していました。しかし,その研究は上手くいかないことから別のテーマに転換しようかと考えていた時,研究所の廊下で偶然立ち話をした相手が,非常に薄いシリコン膜を作りその上下にエレクトロニクスのプロセスでSiO2の成膜ができて,その薄いシリコン膜が光の導波路になる(今のシリコン薄膜導波路),微小な光集積回路を作ろうと考えているから一緒にやらないかと誘ってくれたのです。私は「それは面白い,一緒にやろうよ」ということになり,結果として「ARROW型光導波路」を発見することになるわけです。
 私は彼のことをMike,彼は私をYasuoと呼び合っていましたが,それまではそれほど親しい関係ではなかったのです。そのため,彼に研究中のテーマを尋ねてみると,通信の研究所で地下室に窓を作る研究をしているというのです。大きな柱の中に潜望鏡を埋め込むことで,地下室から覗くと地上の屋外の景色を見ることができるものです。これは,鏡を何枚も組み合わせてレンズで画像を伝送する潜望鏡で,“何とかスコープ”と名称も付けていましたね。この研究に象徴されるように,彼の発想はとても独創的でユニークでした(笑)。
 この研究では,薄いシリコン膜の上下にSiO2を挟みさらにその下にシリコン基板を装着した構造で光導波路を作製していました。そんなある時,上下のSiO2の層は同じ膜厚で設計していたにも関わらず,上の膜厚が非常に厚いものがたまたまできてきたのです。それまで,実験ではその薄いシリコン層に光を入れようとしても, そのシリコン層がCVDで成膜していることから,屈折率が非常に高く界面の凹凸も大きいので散乱が起きて光が導波されませんでした。しかし,そうとは知らず実験を繰り返していると,光が上をぱっと通ったのです。その原因について,半導体レーザーで有名な研究者などからも見解を聞いてみたのですが,なかなか結論が出ず,結局最後には「シリコンは屈折率が非常に高く下のSiO2とワンペアになり,それが干渉反射膜になるため,その干渉反射膜で上のSiO2に光が通っている」というMikeの意見に合点がいき,そのモデルで計算してみると確かにそうであることが分かりました。Mikeは,この新たな光の導波路を「ARROW型光導波路」と名付けたのです。
 最初に光導波を確認した時,私たちはベル研究所内の食堂に行ってお茶で祝杯を挙げ,いろいろなことを語り合ったのです。その中で,私がある写真を見て光エレクトロニクスの分野に入ったと話すと,その写真は私が撮影したものだとMikeは言うのです。それを聞いた時は,驚きましたね。その後,彼のオフィスに行くと『American Scientist Light Photographed in Flight』(1971年)の別刷り(写真B)を1部くれて,私が「記念にここに言葉をください」と言うと,彼は「to Yasuo Kokubun , with my compliments and my best wishes to go as far as light will take us.」と書いてくれたのです。私がよく学生に引用するのが“to go as far as light will take us.”の部分です。「光が我らを導く果てまで」を意味しますが,この言葉は今でも大好きです。彼は大変若く見えたこともあって,米国では上司や先輩でもファーストネームで呼び合うので,Mikeと呼んでいましたが,伊賀先生よりも年上でしたし,本来はDuguay博士と呼ばなければならない方でしたね。 <次ページへ続く>
國分 泰雄(こくぶん・やすお)

國分 泰雄(こくぶん・やすお)

1975年横浜国立大学工学部電気工学科(工学士)卒業。1977年東京工業大学理工学研究科電気工学科修士課程修了。1980年東京工業大学総合理工学研究科電子システム博士課程修了。同年東京工業大学精密工学研究所助手。1983年横浜国立大学工学部助教授。1984年米AT&Tベル研究所客員研究員(1985年10月まで)。1995年横浜国立大学工学部教授昇任。1996年(財)神奈川科学技術アカデミー「3次元マイクロフォトニクスプロジェクト」プロジェクトリーダー併任(1999年3月まで)。2001年横浜国立大学大学院工学研究院知的構造の創生部門教授。2006年横浜国立大学大学院工学研究院長(工学府長,工学部長兼務)(2009年3月まで)。2009年横浜国立大学理事(総務・研究担当)・副学長(現在に至る)。
●専門のご研究内容:マイクロリング共振器と呼ぶ半径5?20μm程度の微小デバイスを集積化し,大規模集積化可能な波長フィルター,波長選択スイッチや符号化回路などの光集積デバイスを実現。半導体量子井戸を用いた位相変調導波路による高速・低電圧波長ルーティング回路や,波長チャネルを用いる高速信号処理回路の研究を実施。光ファイバーの伝送容量を飛躍的に拡大する空間多重/モード多重伝送用として,マルチコアファイバーとモード合分波器の研究も実施。
●2004年第26回応用物理学会論文賞(解説論文賞)。2005年第3回国際コミュニケーション基金優秀研究賞。同年MOC Award。2008年第2回応用物理学会フェロー表彰「高屈折率差光導波路を用いた光集積デバイスの研究」。2010年IEEE FellowElevation,Citation:for contributions to integrated photonic devices他表彰・受賞。

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