常に新しいことにチャレンジするのが研究の醍醐味東京農工大学 名誉教授 黒川 隆志
学生に考えさせること,それが昔も今も教育の基本
聞き手:大学時代の研究室の思い出についてお聞かせください。黒川:恩師の石黒先生はちょっと変わった研究室運営をされていまして,「まず何か自分で考えろ」と学生に一切テーマを与えず,相談にも乗らないんです。さすがに卒業研究だけは,「He-Neレーザーを動かせ」という指示がありましたが,冒頭でも申し上げたように,レーザーを稼働することはできませんでした。それも後で聞くと,今まで何代にもわたってレーザーが動いたことはなく,私の卒業後3~4年たったころにようやく動いた,という話でした(笑)。
修士に入った時にも「こういうことをやったら」など,一切何も言わないんです。こちらから何か言ってくるのを待っているんです。あれは相当つらかったです。他の研究室では,先生が「テーマはこれとこれで」とか「こういうのを測って」とか「こういう論文を読んだらいい」とか大体順調にやっているのですが,石黒研では,どの論文を読んでいいかも何も言ってくれないのです。何をしていいかが全く分からず途方に暮れてしまい,取りあえず調べては見るんですが,いろいろ調べても何も分からないし,何をすればいいかも分からない。ドクターにいる先輩に「この装置はどうやって使うんですか」とか「一緒に,ちょっとデータを取らせてください」とか,自分から弟子入りして,どういう装置が研究室にあり,どう使うかなどを一生懸命覚えていった記憶があります。
そんな試行錯誤を1年ぐらいして,ようやく「こういう装置を作りたいんですが」と恐る恐る石黒先生に申し上げたところ,「あ,いいよ」とあっさり承諾してくれました。部品の購入も「買っていいよ」と,お金だけはくれるんですが,どうやって入手すればいいのかまでは教えてくれませんでした(笑)。結局自分で調べて買いに行ったり,サンプルの入手も「あの会社に頼んでみたら」とか「あの人に頼めば,何とか手に入るんじゃないか」とか人づてに聞いたりして,研究の中身よりもどうすれば研究をうまく進めることができるのかということが,自分なりに分かってきたように思います。ただ,自分の修士論文が,他の人に比べてとても薄かったので,すごく不安になりました(笑)。
この経験は,非常に苦しかったですが,その後でとても役に立ちました。会社に入って,分野の違う化学系の研究室に配属されても頑張れましたし,自ら研究対象を有機から無機,半導体に変えていくことも全然苦になりませんでした。異分野とかそういったことにあまり違和感やこだわりがないので,何でもよいから変わったことをやりたいという気持ちで取り組んで来られたのは,あの時の経験があったからだと思います。
石黒先生は「先端の研究は学生が自分で考えてやりなさい。何か言ってきたらサポートはするよ。相談にものるけれど,言ってくるまでは何もこちらからは言わないよ」ということを徹底していました。そうすると,普通の研究室に比べ,研究成果が形にならず3分の1から4分の1ぐらいしか論文が出てこないのですが,石黒先生は「それが教育である」というふうで全然気にされていませんでした。ご自身でも最先端の研究はなさらず物理教育を中心にやられていました。「研究室の成果が全然出なくていい」というふうに割り切るのはものすごいことですが,それを身をもって経験できたことが一番大きいですね。今の私には,あんなことはできません(笑)。 <次ページへ続く>
黒川隆志(くろかわ・たかし)
1948年茨城県生まれ。1971年東京大学 教養学部基礎科学科卒業。1973年東京大学理学系研究科 修士課程修了。1973年日本電信電話公社入社。1984年日本電信電話公社 茨城電気通信研究所 企画管理室調査役。1988年NTT光エレクトロニクス研究所 研究グループリーダー。1998年東京農工大学 工学部教授。2013年東京農工大学 名誉教授。●研究分野:光信号処理,光計測,天文光学
●1989年MOC/GRIN ’89 国際会議 最優秀論文賞。1990年OEC ’90 国際会議 最優秀論文賞。2007年応用物理学会フェロー。