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光学は研究する余地はまだあるのでそれを見つけてどのようにやるかワシントン大学名誉教授 アルバート S 小林

エンジニア弟子が医学部で初めてのディレクターになった

聞き手:仕事上で成果が出なかったり壁にあたったときにどうやって乗り越えられたかお聞かせください。

小林:私の場合は,乗り越えないで手を引いてしまったことがあります。それはバイオエンジニアリングなのですが,そのきっかけは医学部の先生が,われわれの機械学科に来て話をしたことでした。医学部というのは定性的で定量的でないのです。そこで,私はボランティアで,今ではみんなやっているのですが,その時に初めて有限要素法を扱いました。最初,大学の先生と一緒に毛細血管をファイナイトエレメントで解決し,その論文を書きました。その論文をバイオエンジニアリングの学会で出したところ,シカゴにいる医学部の先生が「シカゴに来てくれ」と言うのです。でも私は,以前シカゴにいたときに,ぜんそくになってしまい,シカゴには行きたくありませんでした。その後のテーマは目の角膜の変形や眼圧測定のメカニズムの研究を眼科の先生と一緒にPh.Dの学生を1人送り出しました。その学生はPh.Dを取ってからUCサンディエゴで20年,Pittsburgh大学に20年でスポーツ医学で有名になりました。彼は,長野オリンピックで最初の金メダルをもらいました。彼はスキーをやりますが競技ではなく,スポーツ医学で非常に貢献したということで,最初の金メダルをもらったのです。
 失敗というわけではないのですが,結局,バイオエンジニアリングに就職できなければしかたがないということで研究をやめてしまいました。研究費も,眼科の先生とで別々に2回もらって終わりで,将来が全然ないといわれてしまいましたので。でも20年もたつとバイオエンジニアリングは大変活況になりました。もう非常に古くてお恥ずかしいのですが,あのとき出した論文が今でも引用されています。失敗ではないけれど,続けていたらたいしたものになっていたと思います。
 そのころ,ASMEはいわゆる理論解析ばかりで,実験をあまり強調していなかったので,SEMがほとんど実験をやっていました。現在,SEMもファイナイトエレメントをやり,またASMEをする様になりました。

聞き手:小林先生と日本の学会との関わりについてお聞かせください。

小林:1962年に京大の平修二先生とスタンフォードで一緒に合宿をしたことがあります。その後京都にセミナーでご一緒したときにバイオエンジニアリングのことを話したこともありました。その他造船,機械,航空,金属,原子力,計算力学の大学の先生方と民間会社の研究者と長年お世話になりました。日本の定年制で殆んど退職なされましたが,現在活躍しておられる実験力学の先生方とはわりと親しくしています。 <次ページへ続く>
ALBERT S. KOBAYASHI (あるばーと・さとし・こばやし)

ALBERT S. KOBAYASHI (あるばーと・さとし・こばやし)

1924年12月9日 シカゴ生まれ 1947年9月 東京大学工学部卒業 1947-1950年 小西六株式会社にて生産設計技師 1952年3月 Washington大学 工学部機械工学科修士 1953-1955年 Illinois Tool Works(Chicago)にて設計技術者(高度歯車解析) 1955-1958年 Illinois工科大学Armor Research Foundationの研究技術者(実験応力解析) 1958年6月 Illinois工科大学から博士号 1958年8月 Washington大学工学部機械工学科助教授 1958-1976年 Boeing Aerospace Company顧問 1961年9月 Washington大学工学部機械工学科準教授 1962-1982年 Mathematical Sciences Northwest顧問(構造解析と破壊力学) 1965年9月 Washington大学工学部機械工学科教授 1974-1978年 AFRPL(米空軍ロケット推進研究所)顧問 1984年11月 U.N. Development Program国連開発計画局(UNDP)顧問 1986年1月-1986年6月 Office of Naval Research(米海軍研究事務所ONR)顧問 1988年-1995年 構造力学のBoeing Pennell Professor 1989-1990年 SEMの会長 1997年7月 Washington大学工学部機械工学科名誉教授
●研究分野
破壊力学,実験応力解析,有限要素解析
●主な活動・受賞歴等
National Academy of Engineering (技術アカデミーNAE)会員 American Society of Mechanical Engineers(米国機械学会ASME)フェロー Society of Experimental Mechanics(実験力学会,以前はSESA,現在はSEM)生涯名誉会員,1989会長 American Academy of Mechanics,Sigma Xi and Tau Beta Pi会員 1973年 F. G. Tatnall 賞 1981年 B. J. Lazan 賞 1983年 R. E. Peterson賞 1983年 William M. Murray Lecture Medal 1991年 JSMEから第一回の材料力学部門賞 Burington Resources Foundation教授功績賞 1995年 M. M. Frocht 賞 1995年 ASEE General Electric Senior研究者賞 1997年 勲三等旭日中綬章 1997年 日系アメリカUW Alumni ClubからAlumni功労賞 2006年 ワシントン大学機械工学科の栄誉殿堂入り 2007年 ASME Daniel Drucker Medal 2010年 ASME Nadai Medal 2013年 ワシントン大学工学部 Diamond Award

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