国民を喜ばせ,国民に夢を与えたというのが一番の褒め言葉国立天文台 台長 林 正彦
観測して面白い何かを見つけたら,そちらにいってしまうのが天文学
聞き手:研究されている時に駄目だと思った時,壁に当たった時はどうやって越えて来たかというのを少しお聞きしたいと思います。林:天文学では,望遠鏡を使う申請書に,こういうことを研究したいと一応は書きます。しかし天文学は博物学的な学問で,すぐわき道にそれるのです。それで申請書にはこう書いてあるけれど,望遠鏡を使って観測しているうちに,これはこっちの方が面白い発見ではないかと,申請書に書いた目的を放っておいて,面白い発見の方にフラフラと行ってしまいます。
これは素粒子物理学者から言わせると実にけしからんと,天文学者はばかにされているのです。彼らは加速器のエネルギーをここまで上げるとヒッグス粒子が出てくるとか,今まで加速器のエネルギーのこのレベルとこのレベルは調べているが,ここだけ調べていないから,ヒッグス粒子が見つかるとしたらこのエネルギーだと目標を定めていきます。多分そういうやり方しかないと思うのです。ファンダメンタリズムですから,素粒子見つける命というのがあって,このエネルギーとあのエネルギーを調べた,次はこのエネルギーしかないとか,あるいは,モデルもこのエネルギーが駄目ならヒッグス粒子はこういう性質でこのエネルギーで出るはずだと言って,間違いのない理論に仕上げていきます。 それに比べると,天文学はそういう目標設定ができないのです。文科省からいつも「目標を設定してそれに対してどうするとか,ここまでできたら何が分かるとか言えませんか?」と言われます。お金をもらわねばならないので一応書きますが,実は,この複雑な宇宙全体を扱っているので,すぐに目標からずれて,別のことがいろいろ分かってくるわけです。
私は最近,実はその手法こそが新しい学問分野を拓いてきたのだと思うのです。研究ではよくごちゃごちゃになることがあって,「さっぱり分からない」ことが起こるのですが,勉強と違って,私たちはそれをすごく喜ぶのです。きれいに解決されると,それはもう終わってしまった分野で全然面白くないと,その分野には興味がなくなってしまうのです。
研究上の挫折ということでは,多くの若手研究者にとっては将来的に大学の先生などの職が得られなかった時に,大きな挫折を感じるのだと思います。
幸いなことに,私は職が得られましたし,研究そのものに対する挫折はあまり味わったことがありません。大体大ざっぱですから,これが駄目ならあれをやればいいとすぐに別の方向に逃げていきます。良くいえば,前進し続けていると言えましょうか。もっとも,予算要求とかではしょっちゅう希望通りにならないので,いつも挫折しています。
天文学は,多くの人に喜んでいただいています。最近はイノベーションにどう結びつくのかと言われます。こじつけで,「こういうイノベーションが…」と説明するのですが,正直言ってあまり直接的には役に立つとは思えないのです。
すばる望遠鏡のお金を400億円要求していた時に,当時イノベーションはあまり言われていませんでしたが,どう社会に寄与できるか,特許がどう出るかとか,ああだこうだと一生懸命説明していたら,ある時,「林さん,400億円かけて望遠鏡を作るのは高いけど,別に誰もイノベーションなんか起こそうと思って望遠鏡のために400億円くれるわけじゃないですよ。天文学はみんなに支持されているし,400億円と言えば1億人の日本の国民から見たら1人当たり400円で,そのぐらい出してもいいと大半は思っていますから,それで何か面白いことをやってください!」と言われたのです。
それで,望遠鏡を完成させ,すばる望遠鏡ではどんな小さな成果でもいいから発表していこうという方針を採りました。今は非常に重要だと言われていますが,当時は,成果をいちいち国民に向けて公表するのは学者の仕事ではないとか,国立天文台の敷地も部外者以外立ち入り禁止とか,そういう時代でした。なぜそういう方針にしたかと言うと,できるだけ多くの日本の皆さんにハワイにある望遠鏡に興味を持っていただくためでした。 それで,きれいな絵が撮れたり,いい成果が出たりすると,とにかく盛んに発表しました。今も続けています。ときどき,すばる望遠鏡は賞をもらったり,大変よくやったと褒められたりしました。何が褒められたかと言うと,もちろん世界最先端の偉大な研究はしているのですが,それよりも,国民を喜ばせ,国民に夢を与えたというのが,一番の褒め言葉だったのです。
われわれはふだん研究する時に,国民に夢を与えようと思って論文を書いているわけでは全くありません。国民の夢など全く考えたことがなく,ひたすら自分の研究の面白いことをやって,ただひたすら結果が出たら論文にして出しましょう,皆さんに分かるような形で話しましょうとやっているだけなのです。ところが,国民に夢を与えたというのを一番高い評価としてもらえたので,非常に不思議な感じがしました。
でも,よく考えてみれば,それがもっとも重要なことで,そのために望遠鏡を高いお金をかけて作ってもらえるのだと思いました。その後,チリに作ったアルマ望遠鏡も,今ハワイに作っているTMT(Thirty Meter Telescope:30m望遠鏡)も,なるべく夢のある壮大な話を表に出して,こういうことをやりませんかと皆さんに理解してもらうようにしています。
天文学はそういう意味では非常に多くの方からサポートいただいており,「望遠鏡は400億円ドブに捨てるようなものだけど,作ったら?」と,よくおっしゃっていただいているので,ありがたいことです。 <次ページへ続く>
林 正彦(はやし・まさひこ)
1959年:岐阜県生まれ1986年:東京大学大学院理学系研究科博士課程終了,理学博士
1986年:日本学術振興会特別研究員
1987年:東京大学助手
1994年:国立天文台助教授
1998年:国立天文台教授
2010年:東京大学大学院理学系研究科教授
2012年:国立天文台台長
●研究分野
電波天文学,赤外線天文学