国民を喜ばせ,国民に夢を与えたというのが一番の褒め言葉国立天文台 台長 林 正彦
ハワイ勤務の体制作りが一番苦労して印象に残った
聞き手:責任ある立場になられてから,何か印象深いことありますか。林:1994年にすばるプロジェクトに移った時のことです。すばる望遠鏡のためにハワイに職員を派遣する方法を確立する必要があったのですが,その時はなぜこんな苦労を味わわなければいけないのだろうと常に思っていました。苦労のレベルは仕事の内容によって違いますが,すばる望遠鏡に来たころは本当に現場の苦労でした。現場とは,予算要求の書類を書く人,あるいは文科省や財務省から「この予算は必要があるのか?」と聞かれた時に「○○は最先端の技術であり必要不可欠です」と一生懸命説明したりする側であるということです。
その中でも,一番苦労して印象に残っているのは,すばる望遠鏡のためにハワイ観測所を作り,職員を勤務できる状態にしたことです。
すばる望遠鏡はハワイ観測所が運営していますが,それは当時,日本が国外に初めて作った研究施設なのです。外国にある日本の公的施設・公的機関と言うと,普通は在外公館,大使館・領事館で,これらは外務省の管轄です。それ以外に,日本が外国に置いているものがあるかといえば,実はほとんどありません。パラオには戦没者慰霊碑がありますが,あの慰霊碑は日本の国有財産らしいです。
大使館・領事館では,日本から職員が行き,どこかに自宅を構えてそこから大使館に勤務し,日本に来る時は日本への出張という形を取っています。在外公館以外にこれをやっているところはないわけです。パラオの慰霊碑に勤務している人はおらず,全く例がなかったわけです。省庁間の関係もあり,どうやってハワイに行かせるかというのが難しいところでした。例えば日本語学校の先生は外務省に出向してそこから行くのですが,そのやり方もないわけではありませんでした。しかし,文部省と外務省という難しい縦割り行政の関係の中で望遠鏡を作るために,この問題は最初は回避していました。これに触れると,ただでさえ「外国に400億円の望遠鏡を作ることなどできるか」と言われるのに,ましてや「現地に人を派遣して望遠鏡を運用したい」と言ったら「人はどうやって送るのか。できっこない」と言われてはいけないので,当時は日本から出張で行くとしていました。海外出張だったら全然構わないのです。でも,当時,公務員は海外出張がめったにできませんでした。ですが,出張で行くなら取りあえず勤務形態のどうのこうのはクリアできるので,まずは望遠鏡をなんとか作ってもらおうとしました。
望遠鏡の予算が決まり,ハワイ建設が進んだあたりで,一体どうやって運用するのかとなってきまして,「日本から出張で運用するやり方ではとてもやっていけません。向こうにいて,必要に応じて日本には出張で来る。現地で腰を据えて望遠鏡を運用する。世界のほかの望遠鏡もすべてそうやっていて,日本もそれでやらないと,とても海外と同等レベルに研究できないので,出張ではなく赴任にさせてくれ」と言ったのです。
一般企業でしたら,外国に建物を借りて現地で法人登録して現地の人を雇い,日本から行くことにすればビザも得られると思うのですが,国では,外務省以外例がないのです。まず,国家公務員が勤務するためには,在勤官署といって,勤務者がいる官署,役所を作らなければいけないのです。それを作るには赴任(現地勤務)が前提で,出張では駄目なのです。そこで赴任はなんとかできるようにしようと,当時の文部省に認めていただくことができました。
次に,赴任した人のお給料は日本と同じ給料でいいのかと。向こうに赴任した人は向こうで家を借りなければいけないのですが,日本で家を借りているのと同じぐらいの手当しか出ないのですかと。ハワイに行ったら公共交通機関がないから車を買わなければいけないのに,日本にいるままの給料でできるのですかと。ただでさえ公務員の給料は安いのにとてもできないということになったのです。今ある手当を一生懸命かき集めても,「これでは暮らしていけない」とみんなが言い始め,ああだこうだ文部省にお願いをしているうちに,「これは仕方がない。そんなこと言って手当がなくて現地で生活ができないのなら,人事院に行って相談するしかない」と言われたのです。
人事院は,約20万人の国家公務員の人事管理をする役所で,国家公務員の給与に関する勧告を行ったりします。人事院のトップには3人の人事官がいて,そのうち一人が総裁となりますが,ときには学者が人事官になることもあります。当時,その中に東工大の学者出身の先生で,制御,コントロールシステムの研究をなさっていた方がいらっしゃいました。その先生は,すばる望遠鏡の制御システムに非常に興味を持ってくださり,1994年に「ちょっとアメリカの学会に行くので帰りにすばるに寄らせてくれ」と連絡がありました。まだ建設されていなくてコンクリートの打ちっぱなしぐらいでしたが,「もちろんですよ」と言ってお見せしたという経緯がありました。その当時から人事官でしたが,私たちが人事院に行くように言われたのは,それから3年後ぐらいのことです。
私は人事官が来てくれたことを知っていたので,そう言われる前にも「ぜひ人事院に相談させてください」と言っていたのですが,やはり縦割り行政で,文部省の下部にある末端機関が,いきなり別の省庁に行って「お願いします」と言えるはずがないのです。 それで当時の台長が人事院に行ったら,その人事官がいて,「実はこれは人事院で対応しなければいけないと思って待っていたのだ。あのすばる望遠鏡に行ったのは,将来おそらくこういうことが起こるだろうと予想して下見に行ったのだ」とおっしゃいました。そこから話が大きく動きました。
1997年の夏の人事院勧告の上から3番目くらいで,ハワイにたった25人を送るのに,新たに国家公務員の手当を作ると勧告してくれたのです。国家公務員の給与は給与法で決まっており国会を通らなければいけないのですが,その秋に給与法が通りハワイに勤務する人の手当てができ,外交官ほどではないですが地元で恥ずかしくない生活ができるレベルの手当をいただけることになりました。後から考えると,そのことがすばるの仕事のなかでも一番印象に残っています。基礎科学の大型施設を日本の国有のものとして海外に設置するということは,非常に大きな影響を与えたと思います。どの望遠鏡を作る時にも必ず苦労はありますが,幸い非常にいい望遠鏡ができ,成果がバンバン出て,いまだに世界の8~10mクラスの中でトップクラスの望遠鏡として活躍しています。 <次ページへ続く>
林 正彦(はやし・まさひこ)
1959年:岐阜県生まれ1986年:東京大学大学院理学系研究科博士課程終了,理学博士
1986年:日本学術振興会特別研究員
1987年:東京大学助手
1994年:国立天文台助教授
1998年:国立天文台教授
2010年:東京大学大学院理学系研究科教授
2012年:国立天文台台長
●研究分野
電波天文学,赤外線天文学