【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

いろいろな経験を積むためにも学生にはできるだけ海外で洗礼を受けさせる早稲田大学 教授 中島 啓幾

微小をベースに,大学の非常勤,自分の研究とほかの管理で大変だった

聞き手:微小光学研究会の運営委員長での活動や,弊誌で連載(光エレクトロニクスの玉手箱)をしている伊賀健一先生との関係について,お話を伺えますでしょうか。 remark76_2 中島:伊賀先生とはイギリスのヨークで1980年に開催された欧州光通信会議ECOC(前述)で初めてお会いしました。私はこのときが光関連の国際会議にデビューで苦い思い出があるのですが,伊賀先生とはそれまで国内の会議でもお目にかかることもなかったので,高名な先生だと存じ上げずにいました。ロンドンに向かう帰路の列車で私は,「日経エレクトロニクス」の初代編集長の西村吉雄さんらと一緒にいましたが,降り立ってから伊賀先生ご一家が大荷物で苦労していらっしゃるように見えたので,長蛇の列に並んだタクシーの順番を譲らせていただきました。そのときから,伊賀先生の目に留まってしまったらしいですね。
 その後,伊賀先生や一緒に始められた方たちに後から加わって,微小光学研究グループのお手伝いをするようになったのは,ちょうど会社で研究室長になってしばらくした,80年代後半のことです。普通の学会は,1年とか2年で委員交代というのが多い中で,微小光学は,所属機関が命じるか,ご本人が辞めたいと言わない限りは続けるのが原則という,面白いルールがありました。
 実はそのころ,会社では大変な状況でして,いきなり研究室長になってしまい,光のコンポーネントや,今でいう光集積回路のひな型についてを自分のテーマとして持ちながら,別のグループも見るという,雑用というか管理業務が入ってきてしまっていました。
 それと同じころに,大学でそれまでの科目を担当していた櫻井健二郎先生がお亡くなりになったのです。私自身が学部の4年生のときにスタートした科目で,櫻井先生自らが講義をされるのを聞いた経験もありました。それが,学期が始まると同時に亡くなられてしまい,大学のほうも急いで後任を手当てしなければいけない状況でした。そこで卒業生の中から,半導体レーザーあるいは光ファイバー通信の関係者で,企業で実際に最先端のことをしている人間を捜していました。こうして今度は社外から再び白羽の矢がささり非常勤講師として,もうひとりの方と半期に7回ずつぐらいその講義を受け持つことになりました。
 二足の草鞋ならぬ社内での仕事と社外での活動の両立は退社するまで続きました。 <次ページへ続く>
中島 啓幾(なかじま・ひろちか)

中島 啓幾(なかじま・ひろちか)

1948年 東京都生まれ 1966年 麻布高校卒 1970年 早稲田大学理工学部応用物理学科卒 1972年 早稲田大学大学院理工学研究科修了 1972年~1996年 (株)富士通研究所 1984年~1996年 早稲田大学 非常勤講師 1996年 早稲田大学 教授(現在に至る) 1998年 ボストン大学 客員教授 2001年~2014年 応用物理学会日本光学会微小光学研究グループ 実行委員長 2002年~2014年 日本女子大学 非常勤講師 2003年~2005年 科学技術振興機構(JST)研究開発センタ出向 シニアフェロー 2011年~2013年 応用物理学会 理事(総務担当) 2012年 応用物理学会 春季学術講演会 現地実行委員長
●研究分野
酸化物単結晶を用いた微小光学,光導波路デバイス,光集積回路と応用
●主な活動・受賞歴等
第9回光産業技術振興協会桜井賞受賞(1993年)
第2回応用物理学会フェロー表彰(2007年)
応用物理学会微小光学研究会運営委員長(2015年~)

私の発言 新着もっと見る

色覚の研究,私の場合。
色覚の研究,私の場合。...(9/26) 立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ
テクノロジーで古い業界の生産性を上げ,さらにその先へ...(8/7) 株式会社スマテン 代表取締役社長 都築 啓一

本誌にて好評連載中

一枚の写真もっと見る