ペロブスカイトの成功は人のつながりがなければ成し得なかった桐蔭横浜大学工学部 大学院工学研究科教授 宮坂 力
大学院では色素増感半導体を研究
宮坂:大学院では光電気化学,中でも色素増感半導体を研究していました。色素増感というのは色素で感度を高めるという写真の言葉です。その時使っていたのは酸化スズという半導体の電極で,紫外線しか吸収しません。研究室の他の人たちはだいたい酸化チタンでしたが,それも同じく紫外線しか吸収しませんでした。それをなんとか太陽スペクトルの可視光領域まで感度を高めるための方法の一つが色素増感でした。私は植物の葉からクロロフィルを抽出して,それを色素に使い増感するということをして,光合成の電気化学モデルという論文を出しました。
そうして博士課程まで進み,いよいよ就職となりました。先生は大学の助手のポストを斡旋しようとしてくださったのですが,申し訳ないけれども研究はものすごく泥くさいですし,一度ばりっとネクタイをしてオフィスを歩いてみたいなと思ったので,企業に行きたいと。
そこで,光を扱う企業をさがしましたがなかなかありませんでした。
ある超大手の電気会社で人工光合成の研究をするから,そのメンバーとして来てほしいという話があり,それは話がポンポンと進んだのですが,ほとんど就職が決まりかけた時にキャンセルしました。
これが私が若かったからなのですが,若い自分がリーダーになって新しいプロジェクトをやってほしいと言われたけれども,それで企業はもうかるのだろうか。あり得ないなと思ったのです。夢の人工光合成は確かにすばらしいし楽しいけれども,大学でやるならともかく,企業に行ってそんな基礎研究では,とても企業に貢献できないと考えてしまい辞退したのです。
当然相手方は怒りまして,部長の首が飛ぶとも言われたのですが,申し訳ないと謝り倒しました。それでもうどこの企業も行くあてがなくなり,富士写真フイルム(当時)にいた先輩に電話をしました。先輩がわかったといってどんどん話が進み無事に就職できました。
就職したのですが,写真会社です。まさに大学でやっていた色素増感でしたが,相手は半導体ではなくて銀塩になりました。当時発売していたインスタントカメラ用インスタントフィルムであるフォトラマフィルムの高感度フィルムの開発をしたり,銀塩の基礎的な粒子形成をしたりしました。そうして会社の大黒柱である銀塩の仕事を一通り経験したところで,新規事業も幾つか経験しました。バイオセンサーや人工網膜,これは結構注目されました。色素増感太陽電池もやり,特許の数は国内トップでした。それから今度はリチウム二次電池の開発に関わりました。
カメラの中には充電式の電池が使われていますが,ライバルのポラロイド社では自社で作った電池を使っていました。これに非常に衝撃を受けた社長が「うちも作ろう」と言い出したのです。
リチウム二次電池のカーボンの代わりに酸化スズを使うことで,サイエンス誌に論文を出したところ技術が注目され,特許を買う企業も出てきたりしました。そのサイエンス誌の論文は,今も無機化学部門で,サイテーションがトップに近いところにいます。ただ,その論文を出版するころに,社長の鶴の一声でいきなりやめることになりました。
人も増えて200人近くがその仕事に関わっていて,なかには松下とか東芝とかからもその事業のために人を雇用していました。いよいよ工場も建ててラインも完成して,さあ,動かそうという時にやめるとなったのです。採算が合わないと。
当時,そのリチウム電池を開発するために,夢を持って社外から中途入社で入ってきた若手のバリバリの研究者もかなり辞めました。私自身は40代の後半になっていましたが,いままで企業で経験をしてきたことを振り返り,このまま定年を迎えるのだなと寂しくなったのです。だから,今のうちに方向転換をして,ゆっくり70歳ぐらいまで地道な研究をやるところに行きたいと思い,大学に行くことを考えたのです。
大学では学生が夢を持ってできそうなことを考える
宮坂:当時,桐蔭横浜大学で,杉道夫先生というLB膜(Langmuir-Blodgett膜)という有機エレクトロニクスにも関わる超薄膜をつくる,とても有名な先生が教授をしていました。その先生が論文に興味を持ってくださり,お話をする機会がありまして,そこで,何か公募やチャンスがあったらぜひお願いしますといったところ,ちょうど公募がありまして,2001年から桐蔭横浜大学の教授になりました。大学では,学生が夢を持ってできそうなことを,富士フイルムでやっていた仕事から考えることにしました。
まず,リチウム電池は全然考えませんでした。制作するための特殊な道具も必要だし,危険性も高かったので。色素増感太陽電池も考えましたが,私は色素増感太陽電池が実用太陽電池になるとはまったく思っていませんでした。東大の先生方も含めて色素増感の研究を長くやってきた先生方は,ほとんど9割以上の皆さんがネガティブで,基礎研究としてはいろんな大きな発見,アウトプットがあるけれども,太陽電池に使うというのは方向が違うとおっしゃっていて,私もそう感じていました。それは耐久性の点でものすごく不安定だったのです。
色素増感は写真の延長なので昔の銀塩写真のフィルムで説明すると,ネガをパトローネから出すと,最初は色が付いています。ところが光にかざしてしばらくすると色が変わってくる。それは色素が光で分解するからです。ちょっとでも光に触れるとどんどんこわれていくわけです。
それを10年間,20年間耐久性が要求される太陽電池に使うことは,そんなばかなことないということです。
私もネガティブでした。ネガティブでしたが太陽電池をフィルムのようにできれば面白いと思ったのです。軽くてフレキシブルで,たとえ寿命は短くても使い捨てのようにできれば面白いと。それで,大学でフィルム色素増感太陽電池をはじめたのです。
これは10年以上続きました。フィルムでいかに,写真で言えば感度,太陽電池でいえば変換効率を高めるかというもので,5%以上の効率で大型のモジュールも完成しました。
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宮坂 力(みやさか・つとむ)
1976年 早稲田大学理工学部応用化学科卒業 1978年 東京大学大学院工学系研究科工業化学修士課程修了 1980年~1981年 カナダ・ケベック大学大学院生物物理学科客員研究員 1981年 東京大学大学院工学系研究科合成化学博士課程修了 1981年 富士写真フイルム(株)入社,足柄研究所主任研究員を経て2001年より現在桐蔭横浜大学・大学院工学研究科教授この間 2004年~2009年 ペクセル・テクノロジーズ(株)代表取締役(兼務)
2005年~2010年 東京大学大学院総合文化研究科客員教授(兼務)
2006年~2010年 桐蔭横浜大学 大学院工学研究科長
2010年~2013年 桐蔭横浜大学研究推進部長(兼任)
●研究分野
物理化学,電気化学,光電気化学,ナノ材料工学
●主な活動・受賞歴等
2002年 (財)化学技術戦略推進機構「アカデミアショーケース」 2004年 横浜市ベンチャービジネスプラン「アカデミー賞」 2005年 Scientific American 50 selection 2009年 グリーンサステナブルネットワーク文部科学大臣賞 2012年 日本写真学会学術賞