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自分の仕事に誇りをもつと同時に楽しむことを伝えたい元シチズンホールディングス(株) 社長 梅原 誠

設計とは人生設計をもっても設計となす

聞き手:シチズン時計で携わったお仕事についてお聞かせください。

梅原:いくつかエピソードがありますが,実は会社を辞めようと思ったことが3回あります。
 まず1回目,私は設計が苦手でした。不器用で図面を引くのはとても無理でした。深く考えたり,現場が好きなので,帝大時代の先輩からも,「梅原,じゃあおれのところに来いよ」と言ってくださり,そちらの部門に移ろうとしていたのです。
 そうした時に,岩波書店の精密工学講座という20冊ぐらいの書籍に出会いました。そこに,東大の渡辺先生という,後にロボットで有名になった方が総論として『設計論』を書いていたのです。30ページか40ページぐらいの薄い本でしたが,たまたまそれを見たところ「設計とは人生設計をもっても設計となす」と書かれていて,これは幅広くて素晴らしい,すべての仕組みを作ることで,単に機械設計だけではないのだと思い直しました。
 私がやっていたのは,社内用の時計専用機の開発・設計でした。これはちょっと私には合わないなと思っていました。時計専用機の設計以外の仕事か,或いは会社を辞めて他の会社に移ろうかと悩んだ2回目でした。その時直属の上司は,学生時の夏季実習でお世話になった指導官その人でした。その上司から「じゃあ,おまえは希望通りドイツに出してあげる」と,まだ20代の時にドイツ出張を命じられたのです。しめたと思いましたね。
 ドイツになぜあこがれたかというと,浪人して大学に入って,ボートとかコーラスとか4つ,5つ部活をしていました。その中のコーラスでは,昼休みに仲間10人ぐらいが集まり,教養部キャンパスの芝生の上で,楽譜を配りアコーディオンとギターの伴奏で歌唱指導をしていました。その副指導教官に,東北大学に講師で来ていた東北薬科大学の小澤俊夫先生という,小澤征爾さんの2つ上のお兄さんがいらっしゃいました。小澤征爾さんは,ブサンソンで賞を取る前で,よく知りませんでしたが年に2回ぐらい,実兄の俊夫先生も我々と一緒に飲んで歌ったりしました。その時に,ドイツ歌曲を歌われたのです。これにはじーんときました。工業的に優れていたドイツでしたが,歌も素晴らしくて,小澤さんの声にあこがれてドイツへ行きたいと思ったのです。
 私は,海外に住みたいという希望もあったので,ドイツ出張に喜んで行きました。当時は海外渡航規定はなかったので,お金の持ち出しにも一般の500ドルというという制限がなく,輸出貢献企業として2,000ドルの仮払いをもらい,先輩と一緒にまずはハンブルクへ旅立ちました。着いたのは5月1日で,緑も鮮やかでドイツではカスターニエと呼ばれる,マロニエの木の白花とか赤花が咲いていました。それからフリーダー,いわゆるライラックも,花のサイズが大きくてウキウキしました。
 スイス時計の設備見学でぐるぐる回っているうちに,私と一緒にいたボスが,何か事情があったらしくすぐに日本に帰ることになったのです。ボスから「おまえは金と体が持つ限り居残っていいよ」と言われたので「しめた」と思いました。そのころはホテルが一泊25ドルほどでしたが,朝飯を食べたら,その時の残ったパンを全部ポケットへ入れて,昼飯を抜き,夕飯も原則として抜き,朝飯だけの生活をしてお金を節約しました。
 ドイツからイタリアへ行き,観光したり,ナイトクラブでぼったくられたりもしました。その後にフランスへ行こうと考えていたのですが,当時のフランスが学生革命のさなかで,ローマのJALから「行ってはいけません。身の保証はできません」と言われ,仕方なくロンドンへ行くことにしました。
 ロンドンでは,工作機械展示会や科学博物館を見て,7月2日に日本に帰りましたので,約2カ月間遊んできたことになります。そして,辞めずにその後もシチズンに残りました。
 ドイツの出張から帰って2カ月ほどすると,30人ぐらいの部署で,いろいろな社内機を社内の要請に応じて作ることになりました。作ることはできても,最初からうまく動くことはめったになく,デバッグが必要でした。デバッグ作業というのは,設計者が現場で不具合を直さなければいけません。そこで私は,その出張所の所長を2 ,3人でやらされました。後になって思うと,これが大変良かった。本来は設計をしたかったので,最初は文句を言っていましたが,大変勉強になり,現場の受けも良くなったのです。
 一言で現場と言っても,機械加工現場や組み立てといった機械部門から,そのユーザーである時計関係の,自動盤の部門や地板部門,歯車と軸を組み立てる部門などさまざまです。
 外からの評価をもらえるような設計をしたいと思っていた時期でもあったので,ちょうどよかったのです。もちろんひどいことも言われます。それでずっと居残って作業をすることもありましたが,おかげで「機械・設計はベースである」と思うようになりました。

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梅原 誠

梅原 誠(うめはら・まこと)

1939年 岩手県生まれ 1962年 東北大学工学部 精密工学科卒業 1962年 シチズン時計(株)入社 1989年 シチズン・マシナリー・ヨーロッパGmBH社長 1993年 シチズン時計取締役 1998年 シチズン時計常務取締役 2002年 シチズン時計(株)社長 2007年 シチズンホールディングス(株)社長 2008年 シチズンホールディングス(株)取締役相談役 2009年 シチズンホールディングス(株)特別顧問 2010年 同退任
●主な活動・受賞歴等
(財)日本卓球協会顧問 
(財)日本卓球リーグ連盟名誉顧問
在京岩手産業人会顧問
東北大学機械系同窓会名誉会長
岩手県奥州市大使
岩手県花巻市イーハトーブ大使
2001年 ドイツBaden Wuerttemberg州経済賞(団体)
2006年 藍綬褒章
2010年 岩手県「県勢功労賞」

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