サイエンスをテクノロジーに変えるにはありとあらゆる工夫をして目的を達成することシチズン時計株式会社 橋本 信幸
1,000年に1回の技術革新を起こしたい
聞き手:そういう物理現象というのはすごく大事ということですね。いろいろな人が巻き込まれてくれたというお話がありましたけれども,どうして巻き込まれてくれたのでしょうか。橋本:ある種,流れに乗った研究開発というのは技術者にとってみたら必ずしも面白くないというか,企業なので計画を立ててなるべく失敗しないようにしますよね。ですから,一般的に言うと,自分たちの持っている技術とか人員とか,ポテンシャルとか,そういうものを使いながらマーケットを調べて,ある時期に出そうとして製品開発を行います。でも,世の中をドラスティックに変えるとか,これをやると世の中の人があっと言うようなことはなかなかできないです。私はアクティブに光波面制御することができたらと思ってやっていました。今までにそういう技術はほとんどなかったですから。
工業製品の歴史を考えると,まず最初にメカの技術があります。メカ技術というのは,いわゆるメカ時計もそうですし,ミシンとか,蒸気機関車なんかもそうです。それに対して,エレクトロニクスが乗って,電子制御されました。電子時計もだし,ミシンもそうですよね。さらに,その上にオプティクスが乗って,今度はレーザープリンターとか光ディスクとか,光通信とかが出てきたわけです。そして更に電子的に焦点距離が変わったり,レンズからいきなりプリズムに変わったり,プリズムからいきなり回折格子になったりという,そんなフレキシブルなオプティクスが出たら,これはもう1,000年に1回の技術革新なんだと,私はちょっと大げさにみんなに言っていました。
そして,「これがあったら光の世の中に新しいパラダイムシフトができるんだ」と,ちょっと大ぼらを吹いていたのですよね。そういうことに対して,技術者の人というのは反応する方が多いです。それで空いているときに手伝ってくれる人が出てきたのだと思います。みんなは,そういうことをやりたがっていた。そういうことをやりたいという思いはすごく強かったと思うのですが,ただ,なかなかそのチャンスがなかったというだけだと思います。
私の場合には,大学でホログラフィをやっていたこと,それで光学メーカーに行かずにシチズンに来たら液晶をやっていて,たまたま液晶とホログラフィが結び付いたということ。なおかつ上司が非常に理解があったということ。それだけのことが重なってできたということです。
常にチャレンジすることを考えて最後まで諦めないこと
聞き手:最後に,光学を学ぶ学生や若手の技術研究者に,光学に対するメッセージというか面白さをお伺いできますでしょうか。橋本:まず,光に関して言うならば,日本で光学産業,精密産業というのは国際競争力が今でも高いですよね。最近,大学に光関係の講座とかなくなってきているし光を勉強する人たちが減っているなと思うのですが,国際競争力の強い産業で,まだまだやることがたくさんあることを伝えておきたいですね。そういうところでは,今後活躍する人が出てきてほしいと思います。
あとは,研究者になるにしろ,企業に入って技術者になるにしろ,生きているうちに何回かチャンスというのは必ずあるのです。そのチャンスに気が付くか気が付かないかというのは,いつも諦めないこと。常にチャレンジすることを考えて,駄目もとでもやってみる,そして,最後まで諦めないということです。
私は会社の中である方から「橋本さんみたいな人はあまりいない」と言われたことがあります。その方と自分とはお互いに方向性が違うので,人種が違うように感じています。「それは,どうしてですか」と聞いたら,「新しいことにチャレンジする人はたくさんいる。橋本さんは,チャレンジしたときにそこに壁があると,その壁を乗り越えるまでやり続けている。普通だと途中で諦めたり,誰かから忠告を受ければ,それで諦めるのが普通だ。けれども橋本さんは周りから何をどう言われようともまったくぶれない,諦めない」と言われました。それは非常にうれしかったことです。そういうところは,若い人たちにつなげたいですね。
ただそれは大変なので,なかなか進められないという人もいるとは思うのですけれども,私の経験では,過ぎてみると大変だったという記憶はないです。そのときは大変だったかもしれないけれども,結果的にはやって面白かったなということがあります。
あともう1つ,特に企業の技術者の人にお話をしたいことがあります。企業の技術者というのは,先ほども話したように,サイエンスをテクノロジーに変えることだと思うのです。それは一体どういうことなんだろうというのは,最近になって分かってきたのですけれども。
ホログラフィテレビの研究をしているときに思ったのは,最後,とても実用には耐えるものではないけれども,ホログラフィ技術をコンセプトとして使ったテレビシステムの基本的な原型がちゃんとできて,非常に粗い像ですが空間に浮かばせることができ,それが動いたわけです。
今にして思うと,課題があったときに,ありとあらゆる工夫をしたのです。それだけやっていたのです。だから,テクノロジーというのは,合法的なすべての物事,できることを使って目的を達成すること,それがテクノロジーなのだと思ったわけです。
サイエンスは必ず理論で非常にスマートなのです。哲学と同じで非常にピュアなところです。ですから,そこは絶対に変えられないです。ただし,理念もサイエンスもそうなんですけれども,それまでの常識を覆す新たな発見というのはもちろんあるので,理念も絶対的に正しいのではなくて常に検証されなければいけないのです。ただ,検証の結果としてできないものは絶対できないです。
だけど,テクノロジーというのは趣味の問題であって,だから価値観なのです。そうすると,そこには合法的なものだったら,すべてのことを使って目的を達成すればいいわけです。結果的に私がやったことは,光波面制御技術を用いて動くホログラフィの立体像を空中に出すためにありとあらゆる技術を使ったということ。決して常識を打ち砕いたわけではないということです。
今,液晶を応用した超解像の研究もやっているのですが,それも相当します。今,超解像顕微鏡が,医学,生物学のツールとして非常にホットな話題になっています。我々はそれに向けて,いくつか大学の先生の指導を頂いて,アッベの分解能をしのぐような超解像顕微鏡技術を世の中に発表しています。そういう液晶をバイオに応用する過程で,若手の女性にも博士号を取ってもらいました。それも,決してアッベの結像理論を打ち砕いたのではなくて,合法的なあらゆる手段を使って,アッベの分解能を超える分解能を我々は出しているのです。ですから,ある目的に向かって,合法的なあらゆる手段を取りなさいと部下たちにはよく言っています。そういう技術者が増えたら,もっと光学の技術も盛んになったり,まだまだやることがいっぱいあるので,そこを切り開いていっていただけるとうれしく思います。
橋本 信幸(はしもと のぶゆき)
1958年 東京都生まれ。 1983年 早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了。同年,シチズン時計(株)入社。技術研究所に配属。白黒およびカラー液晶TV ,レーザープリンター,光ディスク,液晶プロジェクター,電子ビューファインダー,液晶光学素子とその情報光学応用等の研究開発に従事。91年に世界初の液晶空間光変調器を用いたホログラフィ TV装置を開発。2000年よりDVD ,BD用の液晶収差補正素子を量産化。現在は,同社研究開発センターで液晶光学素子とそのバイオイメージング,計算光学,加工応用等の研究開発に従事。上席研究員。博士(工学)。●主な活動
日本学術振興会第130委員会,同179委員会委員 日本設計工学会研究調査部会委員 3Dフォーラム幹事 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術予測センター専門調査員 IDW(International display workshop)コア委員 OSA fellow OSA fellow member committee SPIE Photonics West プログラム委員 SPIE ,日本光学会元幹事,応用物理学会,日本時計学会会員,日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会前会長。
●受賞歴
三次元映像のフォーラム優秀論文賞(1996) HODIC鈴木・岡田賞(2005)(日本光学会ホログラフィックディスプレイ研究会) 光設計奨励賞(2010)(日本光学会 光設計研究グループ) 青木賞(2012)(日本時計学会)
●研究分野
液晶光学素子及びそれを用いた光波面制御,バイオーメージング,光情報機器への応用。