【重要】技術情報誌『O plus E』休刊のお知らせ

いかに自分を納得させ進めるかが重要 自分が納得できないものには人はついてこない藤原 義久

これからますますロボットに頼るような時代になると確信

聞き手:藤原さんは,これまで設計者として,技術のマネジャーとして,さらに労働組合の書記長や,子会社のニコンビジョンの取締役社長なども務められ,多くの経験をされてきました。そうした経験をもとに,これから光学分野において活躍を目指す若手研究者・技術者,学生に向けてメッセージをお願いできますでしょうか。

藤原:どういう方向を目指したらいいのかは,後になれば的確だったかどうかがわかりますが,自分なりにここならいけそうだと納得させ,進めるかが重要だと思っています。
 まず,自分が納得できなければ,他の人もついてきてくれるわけはありません。自分なりに目標を定めて,自分に納得させて,自分なりにやる,そこが一番大変なところでもあり,大切なところです。
 私が,ニコンでアブソリュートエンコーダーを始めたときにも,この先はロボットの時代になると私自身は思っていました。当時もロボットが結構動いていましたが,ますますロボットに頼るような時代になる。そういう確信がありました。ですから,他のものを捨てても,アブソリュートエンコーダーに重点を置くべきだと思えたのです。
 ニコンでは今でも,デジマイクロという,ものの厚みを千分の1 mm,1万分の1 mm単位で測るエンコーダーを生産しています。中国の生産工場などではこの装置が数千台も並んで,厚みを測るために使われています。しかし,こうした装置は安価なものであるため,20年近く基本的には変わっていませんし,1万分の1 mm,10万分の1 mmという高精度はここには求められないでしょう。私がエンコーダーの事業に移ったときには,インクリメンタルエンコーダーは安いもので数千円からあり,競合メーカーは40社くらいありました。しかし,今は淘汰され,数社しか残っていません。ニコンのエンコーダー事業の拡大という意味では,アブソリュートエンコーダーへの進出は間違っていなかったと思います。
 現在,ニコンのアブソリュートエンコーダーは,国内はもとより,台湾,韓国,中国でも売られています。いろいろな困難もありましたが,めげずにやってきたことが今につながっています。
 私は,ニコンビジョンの取締役社長を最後に,2010年に63歳で退職し,今は山梨の実家で親父がやっていたぶどう作りを引き継ぎ,「牧丘の巨峰」というブランド巨峰の生産をしています。そのために,年間100日ほど山梨に通う生活をしています。ニコンを離れて9年になりますが,今振り返ってみても,自分を信じてアブソリュートエンコーダーに挑戦してよかったですし,ここまで事業を継続してこられ,発展させてこられたことはよかったと思っています。

藤原 義久

藤原 義久(ふじわら・よしひさ)

1970年 山梨大学工学部精密工学科卒業 1970年 日本光学工業株式会社(現:株式会社ニコン)機器事業部入社 1980年 ニコン労働組合 専従 書記長 1985年 同光機事業部エンコーダグループ マネジャー 1997年 仙台ニコン取締役 2004年 ニコンロジスティクス取締役社長 2006年 ニコンビジョン取締役社長 2010年 退職
●主な活動・受賞歴等
産業技術総合研究所・角度トレーサビリティー委員会
産業技術総合研究所・長さトレーサビリティー委員会

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