人は変えられなくても,自分自身は変えることができる東京都議会議員 福島 りえこ
メンバーの力が十分発揮されるように意識して製品化を実現
聞き手:お仕事をされていくなかで苦労されたエピソードなどございましたらお話しいただけますでしょうか。そして,その困難に直面したとき,どのようにして乗り越えられたのでしょうか。福島:研究者が1台を手でつくるのとは違って製品の構造となると,コストを抑えつつも歩留まりをあげる必要があります。これを検証するためには,多くを試作して耐久性試験にかけ評価を行う必要があります。東芝松下ディスプレイテクノロジー(株)との量産検討のなかで製品の構造を決める製品構造決定チームのリーダーになるように私が言われたのが,研究をはじめて5年目,子どもが5歳のときでした。1歳にならない子どもを預けて復職して裸眼3Dディスプレイの開発に携わりましたので,裸眼3Dディスプレイ開発の1年目が子どもが1歳で,まさに子どもの成長と裸眼3Dディスプレイの成長とが一緒だったのです。量産検討には東芝内の事業所4拠点が関わっていて,毎週月曜日にテレビ会議などもやっていたのですが,自身の手による検討に加え量産プロセスを検討してくれていたメンバーが試作し評価した結果も一生懸命分析し,次に何をやるかを決断する役目を担いました。多くの人が関わるなか間違ったらどうしようと責任の重さに悩みましたが,量産については自分より詳しい人が事業部に大勢います。これに気づいてからは,自分がメンバーを引っ張るというよりは,メンバーの力が十分発揮されるように皆で考え提案しやすい会議にしようとするようになりました。
構造の安定性とコストはトレードオフの関係があり,そこはすごく悩まされたところです。製品化のためには信頼性試験が欠かせませんが,裸眼3Dディスプレイでは高温試験の成績が良くなかったのです。立体は見る角度によって見え方が異なります。裸眼3Dディスプレイも,見る位置,両目でさえ映像が違うようにする必要があります。その状態をバリア越しにディスプレイの画素が見える構造で実現するメーカーもありましたが,そうすると暗くなってしまいます。私たちは明るさを犠牲にしないために,バリアの代わりにレンズアレイを用いていました。この場合,レンズの焦点距離に液晶ディスプレイの画素が位置するような設計にします。そして,このレンズと画素の間の距離が焦点距離からずれると,見る位置に応じて見える画素を切り替えなければならないのに2つ以上の画素が一緒に見えてしまい,3D映像が二重になったりボケるなどして画質の低下につながるのです。高温試験にかけると,ディスプレイの面内でレンズと画素の間の距離にバラつきが生じていました。対策として考えられることはレンズとディスプレイの間を減圧して密着させることでしたが,そのためにはシール材を全周に塗らなければなりませんし,コストもプロセスも増えてしまいます。そこで,なんとか開放系でやりたいと,シール材を変えたりシールの位置を工夫したりなどいろいろやってみたのですがうまくいきませんでした。
解決策は意外なところから来ました。液晶ディスプレイは年々薄型化が進み薄いガラスと偏光板を貼り合わせた構造のため,やはり高温試験で歪みやすいという問題があったのです。この対策に取り組んでいた研究者が,液晶ディスプレイそのものが熱で歪むこと,さらに,その液晶ディスプレイと熱膨張特性の違うレンズアレイを接着した構造のため,シール剤が高温でいったん軟化し再度硬化する間に液晶ディスプレイやレンズアレイがそれぞれしなり,常温に戻したときに歪んでしまう,そのようなメカニズムを仮説として示してくれたのです。その切り口で評価を進めたことで対策を打つことができました。具体的には,長期信頼性を保証するために高温で加速試験をしていたのですが,実環境ではそこまで温度が上がることはないので加速試験で見ているような現象は起きないという方向性で信頼性試験の条件などを改め,構造決定に至りました。
多くの人たちへの感謝の思いがパワーの源
聞き手:かつて研究者をされ,同時に母としての顔,そして現在は政治家としての顔をおもちですが,何に対しても真摯に取り組み両立していらっしゃるパワーの源や,日々大事にしていることについて教えてください。福島:研究開発を通じて,自分でできることはわずかしかないと思うようになりました。困難に直面したときは,人の力も借りて乗り越えました。先に紹介したのはごく一部ですが,裸眼3Dディスプレイの開発では,専門性の違う人たちと力を合わせることで1つのものを作り上げられる経験をしました。裸眼3D液晶テレビとして製品化するという社長の決断がなされた後に,映像処理系のメンバーも入り100人を超えるメンバーになりました。東芝製のテレビは当時から画質が良いと評判でしたが,この映像処理を担ってきた専門家が裸眼3D液晶テレビの開発に加わったことで,通常のテレビ映像を3D映像にリアルタイムに変換する部分が大きく進みました。ここでも多様な人が力を合わせることのすごさを感じました。
パワーの源のひとつとして,子どもの存在もありました。子どもが10歳になったときに裸眼3D液晶テレビが上市されましたが,その頃には同士のような感じで仕事をしている母親を理解してくれました。それから,ママ友など子育てを通じてできたコミュニティにも力をもらいました。当時住んでいた地域には,仕事と子育てを両立しているお母さんが多く,東芝の中とはまったく関係のない話や価値観に触れることができて,私のなかでバランスが取りやすくなっていることを感じました。ママ友とは政治家になってもつきあいが続いていますが,それぞれの場所で頑張っているママ友の存在は励みになります。また,仕事と家庭の両立ができたのは,パートナーや両親の助けをはじめ上司や同僚の理解,さらには会社の制度が整っていたおかげです。これらの環境に感謝していますし,今の政治家としての女性が自己実現できる環境を当たり前にしたい気持ちにもつながっています。特に,製品構造検討のリーダーというチャンスをいただいたこと,ここでできた経験と成し遂げた自信は今の仕事のパワーになっています。
日々大事にしていることは,うれしいことを口に出して言うことです。「ありがとう」とか「かわいい」とか「おいしい」とか声に出すことで3倍くらい大きく実感できるように思います。それから,嫌なことはあまり考えません。嫌いな人,嫌なことを考えるよりは,好きな人や好きなことを考えたほうがいいですよね。そして,人は変えられないけれど自分は変えられるといつも意識しています。大学4年のときに研究テーマを与えられたときも裸眼3D液晶ディスプレイ開発に配属されたときも,自分の置かれた状況をより良いほうに受け取ることでパワーに変えてきました。
政治家としては,先ほどの女性活躍に加え,子どもの教育をアップデートすること,加えて私も支えてもらったコミュニティの活性化の3つを,私の大きなテーマとして掲げています。また,日本はエネルギーも食料も外国から輸入する立場なので,売れるものを作ることが不可欠だと考えています。つまり,科学技術関連予算を増やしたいです。
<次ページへ続く>
福島 りえこ(ふくしま・りえこ)
1995年 東北大学大学院理学研究科修了 1995年 (株)東芝入社 研究開発センター配属 2017年 都民ファーストの会の公認で都議会議員選挙に世田谷区から出馬 トップ当選 2021年 再びトップ当選●専門分野
裸眼3D液晶ディスプレイ
●主な受賞歴
2005年 第57回神奈川県発明考案展覧会/川崎市長賞
2005年 日本光学会/光設計優秀賞
2007年 映像情報メディア学会/技術振興賞 開発賞
2010年 発明協会/全国発明表彰21世紀発明賞(第二表彰区分)
2010年 映像メディア学会/丹羽高柳賞(業績賞)
2010年 ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011/大賞
2011年 文部科学大臣表彰/科学技術賞(研究部門)
2011年 Women and the Economy Summit(APEC USA 2011)/APEC女性イノベーター賞
2013年 日本液晶学会賞/業績賞(開発部門)