ホログラフィーは私にとって学校のようなものです。石川光学造形研究所 石川 洵
独立へ
そのようなことで,中央精機さんと縁ができたわけですが,ある時堀田さんに,「マルチプレックスホログラムをやろうと思っているのだが,その手助けをしてくれないか」と声をかけられたのです。マルチプレックスホログラムは,「世界のホログラフィー展」でもっとも私の興味を引いたものでしたが,実のところどのようにして作るかは知りませんでした。
マルチプレックスホログラムというのは,水平に360˚ どの方向からも見ることができ,さらに動きも見られるホログラムです。
作製は,回転台に乗った被写体が1回転する間映画用のカメラで連続撮影することから始めます。次に,ホログラフィーの合成装置を使い,撮影したフィルムを1コマずつ約3000回,1枚のホログラフィー用のフィルムに記録して完成となります。
実際やってみると,この記録のメカニズムが意外に難しいものなのです。
この堀田さんからの依頼には,正直いって悩みました。なぜかというと,さすがに会社勤めと,趣味の範囲を越えた仕事の両立は難しいものがあったからです。
また,実を言いますと,このお話がある何年か前から会社を辞めてホログラフィーで食っていけないかと,考え始めていたのです。
あくまでも趣味でホログラフィーをやるのであれば,お断りしていたでしょうが,そのような気持ちがあったことから,これは独立への良い機会だと思い,清水の舞台から飛び降りる気持ちで,「石川光学造形研究所」の設立を決心したのです。
今の時代ですと,脱サラというのは珍しくもなくなりましたが,われわれの時代は終身雇用という不文律があり,脱サラは敗者のようなイメージで見られたりして苦労したりもしました。
中央精機での仕事は約半年間でしたが,なんとかマルチプレックスホログラフィーの合成装置の開発に成功しました。この装置は,本格的な合成装置としては世界初ではないかと思っています。
堀田さんからは,「せっかく作ったのだから,この装置を使ってもいいよ」とおっしゃっていただき,多くの作品がこの装置を使って生まれることとなりました。
堀田さんには物心両面でお世話になりました。実際のところ,今でもお世話になっているようなところもあります。
私がマルチプレックスホログラフィーの合成装置を開発した狙いとしては,ホログラフィーが一般に普及して,町の写真屋さんでも簡単に撮ることができ,ホログラフィー撮影用のカメラや合成装置の需要が増えることで堀田さんに恩返しができればと思っていたのです。残念ながら現在まだそのような状況にはなっていませんが,夢を捨てたわけではありません。
ホログラフィーを取り巻く現在の状況
ホログラムは新札にも採用され,より身近なものになってきてはいますが,その反面,本来の姿が忘れられ,模様が変わる偽造防止用シールとしてイメージが定着しつつあります。そのため,マルチプレックスホログラムや平面のホログラムを今の若い人に見せると新鮮なためか驚かれるので,逆にこっちが驚いて,「ああ,知らないんだ」と,どこか寂しい気持ちになったりもします。セキュリティー用以外のホログラフィーは,20世紀末以降どんどん退潮している状況にありますが,そうなってしまった原因というのは,作り手と受け手のミスマッチがあったのではないかと思っています。 ホログラフィーで,われわれ作り手が提供できるものは,完全な立体写真といったジャンルのものです。
一方で,受け手の人たちが何を期待していたかというと,スターウォーズなどのSF映画に登場してくるような,立体動画を空間に浮かび上がらせるようなものであり,その食い違いが今日のホログラフィーの衰退の原因ではないかと思うのです。
ポートレートなどの静止画を完全な立体でしっかりと撮影する手段としては,ホログラフィー以上のものは今のところまだないと思いますので,その辺りから再度切り込んで行ければと考えています。
1839年に最初の写真ができて,一般に普及するまでには100年近くかかっていますから,ホログラフィーの普及も時間がかかるのは当たり前なのかもしれません。
余談ですが,私が小学生の時に,「10年もしたら壁掛けテレビができるよ」とか「腕時計型の無線電話ができるよ」といった話を聞いていたのですが,実際にわれわれが使えるようになるまでには40~50年かかっています。
技術というものは,先が見えていて,このようなものがあればいいというニーズもあり,シードがあったとしても,実際にその技術なり製品なりが“こなれて”一般に普及するには時間がかかるものだと思っています。
ただ問題なのは,どのようにして技術を伝承して行くかですが,やはり技術は人が伝えて行くものですから,ホログラフィーをやる人をどんどん育成しなければいけないと思います。では,どのようにしたら人が育つのかということを考えた場合に,その鍵はアートの世界にあるのではないかと思っています。つまり,ビジネスとしてやるには難しい状態ですが,何かの表現手段としてホログラフィーを考えた場合,これは非常にユニークで面白いものといえます。
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石川 洵(いしかわ じゅん)氏 ご経歴
1946年生まれ。69年,早稲田大学第一商学部卒業。同年,日産自動車(株)入社。82年,石川光学造形研究所設立。88年~92年,多摩芸術学園非常勤講師。89年,石川光学造形研究所を有限会社に改組 代表取締役に就任,そして現在にいたる。日本ディスプレイデザイン協会,日本バーチャルリアリティ学会,日本映画テレビ技術協会などに所属。