セミナーレポート
感性・意識の画像センシングは可能か? ~画像センシング技術試論~中京大学大学院 輿水 大和
本記事は、画像センシング展2010にて開催された特別招待講演プレインタビューを記事化したものになります。
画像センシングは選ばれし舞台
輿水:最後の話題は,感性や意識の「直接的」計測はどうしたらいいのかというものです。これまでお話ししてきたのは,ココロセンシングの「第2種計測法」と私は呼んでいます。物質計測を手掛かりに,しかも徹底的にやればかなりのところまでいけるということを申し上げたかったのです。しかし,これは第2種であって第1種ではありません。つまり,物質計測を経由しないココロセンシング方法を確立したいのです。例えば,「うれしい」ということを直接センシングしたいわけです。ココロセンシングでは,例えばさまざまなココロ現象を直接記録して,今日の記録と昨日の記録を比較できるようにしたいのです。昨日記録した喜びのセンシング結果と,今日測った喜びの大きさの記録を照合できればいいわけです。物質計測の中でやっていることの本質は,記録と記録の照合ですから。
例えば温度計では,その昔,温度が変わると水銀やアルコールの体積が変わることに誰かが気付きました。アルコールの体積の変化を見て,目盛りはあとから誰かが書き込んだのですね。このアルコールの体積の温度変化と目盛りの照合関係から,物質の法則や規則性,物性をとらえるわけです。温度計というのは,温度という物質の性質とアルコールという物質が空間を占める占有率の変化を丁寧に調べて結果を出したという装置なんです。でも,あれはよくよく考えると,温度という性質の「そこそこ」のことしか分からない。本当の温度を測れるのは,自分の指でてんぷら油の温度を測っている天ぷら屋のおじさんです。そのぐらいのものが温度計だとするならば,感性や意識の計測もそんなに難しいことではないと思います。センシングの本質は,「ある法則を見つけたい」ということですから。
聞き手:そうした法則は見つかるものなのですか?
輿水:何の手掛かりもないかというと,そうでもないのです。それが,ジークムント・フロイトという心理学者の「夢判断」という著作で採られた研究方法にあると私は考えています。そこには先の心理学が採ったような物質計測を介することは一切ないのです。ひたすら被験者に言葉で質問して答えを聞くだけ。フロイトは投げるデータと受け取るデータの関係をただひたすらテキストにしていっただけです。これがココロ計測の第1種計測法そのものだと言っていいと思っています。
第1種計測では,物質計測ではないココロ計測をしなければいけない。そしてそれをどう記録するのか。そして,記録したものをどう照合するか。そういう意識でこの問題に取り組むことを私は「500年問題」と言っています。現在が物理学者・数学者であり哲学者のルネ・デカルト(1596~1650年)の生誕から数えてほぼ500年だから。そのころ始まっていた宗教改革のまっただ中で,デカルトは科学的方法論を出しました。もともとデカルトは,虹が見える理由やカメラのレンズの設計などを研究していた物理屋なんですね。実はそうした光学の研究書の前書きが有名な「方法序説」なのです。そこで彼は「物質に対してちゃんと目を向けろ」ということを言いたかった。「方法序説」には物質科学に取り組む方法論が書いてあったのですが,ローマ法王庁の弾圧が当時は大変厳しく,この著作が無署名でオランダの出版社から出されたという,隠れたドラマがあります。
聞き手:話は少し変わりますが,先日,アイカメラを使って計測システムを開発している会社を取材に行きました。そこでも,人のココロを計測しようとする開発を進めていましたね。
輿水:アイカメラ――眼球の動きを見るシステムですね。うちの研究室では,先ほどの室伏選手用にカメラを2つ背中合わせにして,室伏選手の目の映像と,室伏選手がハンマーを持って回るときの正面の映像を一緒に撮るカメラを作りました。そうすると,眼球が体の動きに対してどうリードしているかが分かるようになります。
話は少々ズレますが,そうしたカメラがとらえる画像の画素は何を記録しているのかということを少しお話しします。私たちは「共起度数画像」という変な画像を作りました。これはどういう画像かと言いますと,例えば画像を1枚撮ると輝度のヒストグラムができますね。ならば,画素の値として輝度そのものではなく,その輝度と同じ画素が何個あるのかという値を記録します。こうした画像は,物質計測した画像に対して,その画像の持っている統計的な性質を記録した画像になるわけです。
例えば普通,エッジの画像というのは,画素の近傍を眺めると局所的にコントラストの高いところじゃないですか。一方で,輝度の仲間が少ないところを探しても,同じような値を持つ狭い領域を見つけることができます。共起度数の低いところを探すことで,エッジを見つけることができるのです。「面積の少ないところはエッジに違いない」という根底から違うエッジ性の根拠を発見することができたのです。
聞き手:確かにおおもとの考え方が違いますね。
輿水:画像というものは,こうした共起度数画像のように「何を撮りたいか」という関心に合わせて撮るような画像であってもいいのです。カメラとは普通,物の反射特性や物質の性質を記録しようとするものですが,こちらの関心から写す内容を選択して構築するようなカメラがあってもいい。奇想天外なことを言っているようですが,先ほどの共起度数画像のように,人間の持っている関心を写した画像が実際に存在しています。「画像の画素は何を記録したものか」という問いから発して,人の関心の側から写したいものをかき集めてくるようなカメラというものが考えられるようになるのです。例えば,最近の話題なのですが,「符号化センシング」とか「圧縮センシング」といわれる技術の発想はその例です。
聞き手:ユーザーの要求に応えるカメラ。確かにこれは面白いですね。
輿水:最後に,今回の講演の主題となる「感性・意識の画像センシングは可能か」という,一見宙に浮いたような話が,実は全然そうではないということをお話ししたいと思います。
講演の中で,共起度数画像ともう一つ「OK量子化理論」というものをアピールしたいと思っています。そもそも,デジタル画像というものの空間解像度はどのくらいにしたら良いのでしょうか? この答えは,シャノンという人の標本化定理にあります。標本化された離散データがうまくすると連続データに復元できるという数学的な理論です。しかし一方で,階調はどのくらいにしたら良いのでしょうか? 今はだいたい256の3乗ぐらいの階調がカラー画像で出せます。だけど,もともと見ている世界はこのような階調という段階的な明るさで構成されていないでしょう。これにもシャノンの標本化定理のような安心できる理論が必要です。このように物質画像センシングの根幹でさえ,まだやるべきことがたくさんあるのです。だからみなさん,物質画像センシングでも感性画像センシングでもボンヤリしてはいられません。元気を出してやりましょう,ということです。
感性計測や意識の計測という未踏の科学技術の根幹にかかわるような画像センシングは,この時代,新しい世紀の科学技術の選ばれた舞台なのではないでしょうか。われわれは物質科学とココロの科学の両方を具備しないといけません。デカルト生誕から数えて500年経った時代に現れた画像センシングという科学技術は,物質科学とココロセンシングの両方の性質を具備した新しい科学技術を展開する壮大な舞台だという話です。
聞き手:大変興味深い話をありがとうございました。画像センシング展2011のご講演はとても面白いものになりそうですね。期待して聞かせていただきます。本日はありがとうございました。
中京大学大学院 輿水 大和
1975年,名古屋大学大学院博士課程修了(工学博士)。同年,名古屋大学工学部助手に就任し,名古屋市工業研究所に所属。1986年,中京大学教養部教授に就任。1990年,同大学情報科学部教授。1994年,同大学院教授。2004年,情報科学部長。2006年より情報理工学部長, 2010年より大学院情報科学研究科長に就任。画像センシングや画像処理,顔学,デジタル化理論OKQT,ハフ変換などとそれらの産業応用の研究に従事。IEE,IEICE,SICE,JSPE,JFACE,JSAI/QCAV,FCV,MVA,SSII,ViEW,DIAなどで学会活動中。JFACE副会長,SSII会長,IAIP委員長など。仲間とともに,SSII2010優秀学術賞,小田原賞(IAIP/JSPE,2002,2005),IEE優秀論文発表賞(2004,2009,2010,2011など),技術奨励賞・新進賞(SICE2006,NDI2010)などを受賞。