第2回 「田舎のネズミ」を自任する寺田賢治先生―産学現場に阿(おもね)ない疾走にエール―
3.3球の問題提起
研究にはいつも,基礎と現場・臨床・応用との間の“貴賤?/上下!” 関係性とでもいうステレオタイプな悩みが根深い。また,画像AI研究は物質科学技術と記憶科学技術のはざまで出自と本性を問われ続けている。寺田先生は,このどちらにもデリカシーと問題意識を抱いておられると私は感じてきた。その証拠探しがここのテーマである。
(1)3球のその証拠
私の身辺からだけでも証拠的エピソードが3球もある。寺田先生は2008年から2018年の間のオープンな学術会議において何と3球も問題提起的ボールを投げてこられたのである。
1球目はSS2008(JSPE /寺田プログラム委員長)にて,2球目はiMEC2014(知能メカトロニクスワークショップ/電気学会)にて,そしてViEW2017(JSPE/寺田実行委員長)が3球目である。球に込められたであろうメッセージはすべてお話したいが,誌面の都合で2球目だけは詳しく触れ,ほかの二つは要約して以下に寸描しておく。
1球目では,寺田先生は青木義満実行委員長と共に,
■ 大胆な問題提起で,ディープなディスカッションは必至!?
SS2008 招待講演・チュートリアル「情報科学という学問を再考する−物質科学とココロの科学−」
(http://summer.itlab.org/)』
と開催案内の中でH.ベルクソンのメッセージを煽って下さり,3球目では,満倉靖恵プログラム委員長とともに特別講演,
「画像技術の学術的覚悟−もっと深く,広く,もっと先に−」(ViEW2017特別講演1)
で画像AI研究とはいかなるものかを考えよ,とここでもディープに問うてくださったのだった。
(2) 2球目のエピソードに「エール」を!−「田舎のネズミ」宣言の舞台裏−
iMEC2014(知能メカトロニクスワークショップ/電気学会)にて,非常に面白くて貴重な学会的な出来事があった。
筆者は高野山の庫裡(くり)にて開催されたiMEC2014で特別講演の機会を得た。画像AI 研究は現場に密着したほうが良いという趣旨の話(「セレンディッポ王の哲学— IMEC,ViEW,SSII の画像技術—」)をしたところ,寺田先生は翌日,「複雑で曖昧な物体の画像センシング」という特別講演(キーノートスピーチ)をなされ,その折に,写真4のような差し込みスライドを前夜に急遽加えたと,後日お聞きした。驚いて,静かに感激した。
左 寺田賢治「複雑で曖昧な物体の画像センシング」(キーノートスピーチ)iMEC2014
セッションID:I41
右 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Rackham_town_mouse_
and_country_mouse.jpg
写真4 事後に頂戴した,講演前夜に加えられたスライド
なぜなら,スライドには「いなかの画像処理」と「まちの画像処理」,「どろくさい画像処理」と「洗練された画像処理」とが対比されて並べられていた。これを前夜に 付け加えたほどに,筆者がお話した趣旨をしっかり受け止めてくださったように感じたからである。
キャッチボールの答礼講演のような,あたかも即興のジャズセッションのごとき出来事を寺田先生が巻き起こしてくださったのだ。筆者はそのとき学務にて翌早朝に は離席・帰名したので,ライブでご講演は伺えなかったが,最上級な内容的コラボ,奇跡的な学術交流を完璧に成り立たせていただいたのだった。
寺田先生は,イソップ寓話「田舎のネズミと街のネズミ」に準えて,ご自身の画像AI研究の姿勢を宣言されたのだった。「…こんなに危険が多いのは御免だね。僕には土くれだった畑で食べている方が性に合ってる。…」(Wiki)は原著者イソップの平穏な含意かもしれないが,ただ平穏な学究生活を寺田先生が主張されているようにはちっとも見えない。それより向こう側に,
「街のチーズや豪華なケーキやステーキも悪くはないが,田舎にはその源(みなもと)たる素材の麦や牛や牛乳が,尽きることなく溢れている。」「とどのつまり,田舎にこそそのための天然学術素材が埋まっている!」
(筆者意訳)
なる宣言が私には聞こえるのだが如何であろうか?現場からの声にデリケートに応え,また応えるための思索を重ねておられていたに違いない。
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