斎藤弘義先生を偲びながらOplusE編集同人
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斎藤弘義先生は昭和22年9月に東京大学精密工学科を卒業されたが,この頃は日本の光学機械産業は芽吹きつつあり,その後のカメラでいえばAからZまでが揃うという時代にかかりつつあった。光学に関しても優れた人材が輩出されつつあり,斎藤先生と同期には小瀬輝次先生(東京大学)および村田和美先生(北海道大学),一年後期には収差論で知られる松井吉哉さん(キヤノン)などがおられる。筆者が存じあげた頃には斎藤先生は西田正孝先生(理化学研究所)と共に光弾性や材料の応力解析の研究に従事しておられた。西田先生は昭和6年精密工学科卒であり,斎藤先生は鶴岡市のご出身であることから何らかの地縁があったのかもしれない。西田先生は北陸の出であって,現在でも富山市には西にし田地方(でんじがた)という地名がある。斎藤先生は旧制山形高校のご出身であって,その頃のご友人には「エホバの顔を避けて」や「たった一人の反乱」で著名な作家丸谷才一氏がいるとうかがったこともある。その後に斎藤先生はホログラフィーの応用研究を中心として理化学研究所で活躍しておられたが,おだやかで明るいお人柄であり,またスポーツマンで「自転車は運動にはならないなあ」とおっしゃりながら,テニスや水泳,登山などを楽しんでおられた。また,何かの雑談の折には「妻にはずっと世話になってきて頭があがらないよ」と愛妻家の一面ものぞかせておられた。私たち直接の門下でもない者たちに対しても優しくご対応くださり,長い間年始状の交換をさせていだいていたが,あれは何年前であったろうか,「賀状もきつくなったので電話にするよ」とおっしゃりながら,多くの方がたに電話をくださったりしていたようである。後輩として心からご冥福を祈りながら大変お世話になった御礼を申し上げたい。