光格子時計・硬い原子と柔らかい地球東京大学 香取秀俊
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特定の周波数νの光を当てると,原子はそれを共鳴的に吸収して励起状態に遷移し,やがてその光を自然放出して元の基底状態に戻る。この光の周波数が原子種と物理定数だけで決まる普遍的な値であることを利用して原子時計が作られる。一方,この光の散乱過程で,原子は光子の運動量hν/c(hはプランク定数,cは光速)を吸収し,放出する。レーザー冷却では,この光子の運動量の授受を通して原子の運動エネルギーを奪っていく。
直径30mm の窓から真空装置の中を覗 くと(図1),波長460nm のレーザー光を散乱しながら冷却されている数千万個のストロンチウム原子は,ふわふわと青く輝く原子の雲だ。さらに冷却を続けると,原子の温度は0.5μKに達する。この温度は,静止した原子が光子1 個の運動量で跳ね返されるときに得る運動エネルギーに相当する。
原子は,非共鳴のレーザー光からも双極子力と呼ばれる力を受ける。これはレーザー電場E (ω, r) と,それによって原子に誘起された双極子モーメントμ=α(ω)E(ω, r) との双極子相互作用,U(ω, r)=(-1/2)a(ω)|E(ω, r)|2に由来する。このエネルギーシフトは光シフトと呼ばれ,レーザー冷却された極低温原子を捕獲するのに重宝する。レーザー周波数ωが原子の共鳴周波数νより低いときには原子の分極率はα(ω)>0 となり,光強度(∝|E (ω, r)|2)の極大点で光シフトが極小となる結果,そこに原子が捕獲される。3次元的な光の定在波を作ると,原子は光の半波長ごとに形成される光電場の腹に格子状に捕獲される[図2(a)]。これは光格子と呼ばれる。
時計遷移を観測する原子の基底状態と励起状態に対して,光シフトを等しくするような光格子が構成可能なこと[図2(b)],この原理を用いる新しい原子時計「光格子時計」の概念を提案したのは2001年のことである1)。観測する原子に電磁気学的な摂動を加えないように工夫を凝らした従来の原子時計の設計指針に対し,この提案では,光格子の摂動を使って100万個もの原子を格子状に並べることで,原子間の相互作用を低減する一方,多数原子の同時計測により時計安定度の飛躍的な向上を狙う1), 2)。この結果,18桁の時間計測をわずか数分で行うことも理論的に可能になる。この光格子時計の研究は,筆者らが最初の実証実験を行った2003年以降,急速に広まった。今では世界の10カ所以上の研究拠点で開発が進み,そのうちの数カ所ではセシウム原子時計を凌駕( する不確かさが実現されている。筆者らは2008年,ストロンチウム原子を用いた2台の光格子時計を使って,セシウム原子時計を上回る5×10-16の安定度での比較実験を行った3)。将来的には,18桁の精度で光格子時計の時間比較ができるだろう。
時間の一次標準に用いられている世界中のセシウム原子時計は,通信衛星やGPS 衛星を介して相互につながり,1×10-15を切る不確かさの時系(国際原子時)を形成している。これが1秒の拠( り所となっている。一般相対論によれば,地上で時計を置く高さが1m異なれば,上方に置かれた時計の進みは10-16だけ速くなるとされる。この重力シフトの補正を行って世界共通の時系を作るために,重力ポテンシャルの基準面(ジオイド面)が海水面(地表の約7割を占める)の平均値から決められている。日本では,東京湾の平均海水面がこれにあたる。この基準面からの高さであるジオイド高は,各地で30~50cmの不確かさでマッピングされている。この意味で,セシウム原子時計の時間の共有に関しては,地球は堅牢( な時間の基準を提供している。
18桁の時計を手にした瞬間,われわれは地球の柔らかささえ目( の当たりにすることになる。時計が置かれた2カ所のジオイド高がわずか1cm違っているだけで,それらの時計の18桁目は同じ時間を刻まなくなる。このような高精度原子時計の遠隔比較や大規模ネットワーク構築はもはや夢物語ではない2)。地中に張りめぐらされた光ファイバー網を使うことで,数百キロ圏で時間信号を18桁を超える不確かさで伝送・比較する技術はすでに確立されている。正確な原子時計をつないだ堅牢なネットワークで照らせば,地球は太陽や月の潮汐( 力で時々刻々と局所的にジオイド面を変えていくゴム毬( のように映ることだろう。新しい時計の18桁目は,皆で時間を共有・確認し合うツールとしての旧来の役割を終え,地球の柔らかさを読み出す新しい使命を担っている。
直径30mm の窓から真空装置の中を
時間の一次標準に用いられている世界中のセシウム原子時計は,通信衛星やGPS 衛星を介して相互につながり,1×10-15を切る不確かさの時系(国際原子時)を形成している。これが1秒の
参考文献
- H. Katori:“Spectroscopy of strontium atoms in the Lamb-Dicke confinement”, in the 6th Symposium on Frequency Standards and Metrology, edited by Patric Gill, World Scientific, Singapore, pp. 323 ~ 330 (2002)
- 香取秀俊: 18 桁の精度を目指す次世代時間周波数計測―光格子時計・光周波数コム・光リンク―,OPTRONICS,Vol. 315, pp. 167 ~ 177 (2008)
- T. Akatsuka, M. Takamoto, and H. Katori:“Optical lattice clocks with non-interacting bosons and fermions,” Nat. Phys., Vol. 4, pp. 954 ~ 959 (2008)