日本の光学産業が沈黙した羊の群れのように見える矢部 輝
電子計算機の発達と設計ソフトの機能向上の歴史をたどる発表
聞き手:矢部さまはドイツ在住で,現在は日本での学会のために一時帰国中とお聞きしましたが。矢部:ODF’14(Optics-Photonics Design & Fabrication 2014)が応用物理学会,日本光学会,光設計研究グループの主催で板橋区立文化会館において開催されました。私はプレナリースピーカーの一人として招待していただき,”From nothing to the best solution”という表題で発表しました。内容は私がレンズ設計に35年前に初めて関わって以来,どのような目標を持ってレンズ設計ソフトを開発してきたかを紹介したものです。それは電子計算機の発達と歩調を合わせた設計ソフトの機能向上の歴史をたどる形になりました。その結果として非常に単純な出発点から最善の解に確実に到達できるようになったということを2つの例で説明しました。表題の中のnothingは無に等しいような単純な出発点というつもりだったのですが,発表の後でいろいろな解釈をいただきました。イリナ・リフシッツさんは私の35年の歩み自体を象徴する言葉と捉え,土肥寿秀さんは禅の言葉だと言い,グレッグ・フォーブズ氏はビッグバン,無から生まれた宇宙を連想すると言いました。皆さんに関心を持っていただけて喜んでいます。
聞き手:光設計研究グループではどのような活動をされたのでしょうか?
矢部:私は光設計研究グループのメンバーではありませんが,2012年11月に板橋区グリーンホールで開催された第50回の研究会でレンズ設計方法についての特別講演を行う機会を与えていただきました。私は2010年から2012年に4件の論文をApplied Opticsに発表しましたが,日本に来る機会があまりないので,4つの論文の内容をまとめて解説させていただきました。
聞き手:短い期間に論文を続けて発表されていますが,どのような環境だったのでしょうか?
矢部:私は2003年に日本の光学会社を退職して,家族でドイツに引っ越し,独立したレンズ設計者として仕事をしてきました。日本にいた時には,レンズ設計ソフトの開発が主な業務で,レンズ設計は設計ソフトの課題を発見することを目的に多くの分野を経験しましたが,一つの分野で何年も経験を積んだということではありません。 独立のレンズ設計者として生活するためには,顧客の求める設計を短い期間で仕上げる必要がありますが,私はそれを達成するのに長年の経験からではなく,設計ソフトの能力だけで行う必要がありました。私はそれぞれの分野のレンズが普通どんな構成になっているかよく知りませんが,平行平面板を出発点としてもグローバル最適化で最善のレンズ形式を発見することができました。非球面を使った光学系ではどの面を非球面にするのが最善であるかが重要な問題ですが,私は非球面番号の実数化という方法でその問題を通常の最適化の中で扱えるようにしました。結像性能だけを目標にしてレンズを設計すると,製造誤差感度が高くてガラスコストの高い解になってしまいます。私は製造誤差感度とガラスコストのターゲット函数を用意して,それをメリット函数に含めれば製造誤差感度とガラスコストでも最適な解が得られるようにしました。このような技術が認められて収入が安定するようになったのはドイツに移ってから3年後の2006年でしたが,リーマンショックの後,設計の仕事が半減してその分自由な時間が増えました。この自由な時間を使って,私が実際の設計課題を通して開発した新しい設計方法を4つの論文にまとめ,またアメリカとヨーロッパの学会で発表しました。 <次ページへ続く>
矢部 輝(やべ・あきら)
1953年岩手県生まれ 1978年東京大学物理学科卒業 1978年富士写真光機入社2003年富士写真光機退職 現在は,独立のレンズ設計者として活動
●研究分野
応用光学,光学設計