OplusE 2005年6月号(第307号)
- 目次
- 特集のポイント
- 広告索引
特集
非古典的な光が導く量子情報処理の世界
- ■特集のポイント:量子光学の不思議と量子情報処理
- 慶應義塾大学 神成 文彦
- ■量子もつれ光子対と量子干渉実験
- 東北大学*,科学技術振興機構** 松枝 圭一*,**,大畠 悟郎*,**,清水 亮介**
- ■量子イメージングと,量子リソグラフィー
- ニコン 福武 直樹,大木 裕史
- ■スクイーズド状態の重ね合わせで作る量子エンタングルメント
- 東京大学 古澤 明
- ■光の減速から凍結・再生へ
- 東京工業大学 上妻 幹旺
- ■量子暗号通信の基礎
- 産業技術総合研究所 吉澤 明男
- ■単一光子源とその応用
- 大阪大学/NTT物性科学基礎研究所 井上 恭
- ■量子テレポーテーション
- 学習院大学 平野 琢也
連載
- ■第7・光の鉛筆[35] 「伝承鳩郵便」
- ニコン 鶴田 匡夫
- ■レンズ光学入門 10.収差1
- 東京工芸大学 渋谷 眞人
- ■ByersGuide 2 イメージセンサー・カメラ
- ■私の発言 「新発見や新発明の多くは,知られている知見をいかに組み合わせることができるかで生まれてくるのではないでしょうか。」
- 京都大学 橘 邦英
- ■一枚の写真 「光コムによる技術革新」
- 光コム研究所 興梠 元伸
- ■コンピュータ イメージ フロンティア VFX映画時評
- ■複素光学への道 「複素観測 VII」
- 自然科学研究機構 永山 國昭
- ■ホビーハウス 「円筒鏡アナモルフォーズの光学」
- 鏡 惟史
コラム
- ■オフサイド(編集同人の声) 「お家芸メカ再認識」
- 編集同人:鉄人28号
- ■お孝さんの山日記 「単独行 私ひとりの山」
- 加藤 孝子
■掲示板(会議・展示会などのイベントの開催概要)
■Event Calendar(会議・展示会などのイベント一覧)
■ミニファイル(1ヶ月間の新聞記事の要約)
■New Products(新製品情報)
特集にあたって慶応義塾大学 神成 文彦
非古典的な光が導く量子情報処理の世界
レーザー応用に関する物理過程は,物質系に対しては離散的なエネルギー準位を考えることで量子論を用いるが,光に対しては古典的な波であるとして扱うことで多くの場合は学問的にも満たされている(半古典論)。物質系を量子論的に扱うといっても,離散的なエネルギー準位をイメージすることで光の吸収,放出,Raman散乱を理解したり,半導体のトンネル効果,量子井戸や量子ドットにおける閉じ込め効果(サイズ効果),磁性体のスピン等を理解するような場面以外では量子性を意識することはまずないであろう。そういう意味では,上記の現象や光の2重性,不確定性原理,くらいまでは,不思議に思いながらも何となく身についているのが多くの技術者の現状であろう。実際,大学の電気工学系の学部教育での教育目標もその程度であり,加えてシュレーディンガー方程式を用いた粒子の波動としての挙動を解くというツールの存在を理解させたいというところである。古典論と量子論の違いとして量子力学の教科書の最初に出てくるのが,物質波の波動関数と計測の問題である。観測しない限り粒子は確率波として空間を流れ,計測した瞬間に波束の収縮が起こり期待値としてその状態が求められる。この波束の収縮のイメージに我慢して通過すると,次に出てくるのが極めて斬新な波束の物理である。すなわち,「古典論と量子論の差異は,単に確率を用いることではない。最も大きな特徴は,状態を表す波動関数を重ねあわせることができ,重ね合わさった状態の確率は重ねあわされた波動関数の2乗で決まることである」。そして,名高い“シュレーデインガーの猫”の登場となる。
そして,この“重ね合わせ状態”によって登場するのが量子情報処理の根幹をなす“量子ビット”である。1つの量子計算可能な2準位系を量子ビットとすると,古典的ビットの0の状態が|0〉,1状態が|1〉に相当する。
この量子ビットの取れる状態|ψ〉は,
|ψ〉=α|0〉+β|1〉 (1)
と表される。αとβは,|α|2+|β|2=1を満たす複素数である。(1)式から1つの量子ビットで|0〉と|1〉の重ね合わせ状態が得られるということである。古典的ビットでは0か1の一方のみを100%の確率で与えるのとは大きく異なる。したがって,N個の量子ビットで格納できる状態(量子状態)の数は2のn乗となる。
量子通信,量子計算機のいずれも,この超重ね合わせ状態を記述できる量子ビットを伝送したり,量子ビットを用いて超並列計算を行うことが究極の目的である。この量子ビットは,ビット全体がそれ自身と干渉するため,量子もつれあい状態という概念が容易に導かれてくる。
では,果たしてこの量子通信,量子計算機はいつ頃に実現され,我々の日常生活にどのような大きな変化をもたらすのであろうか。そしてその実現の可能性は? 2004年10月に開催された米国光学会年次大会の全体講演の一環としてレーザー冷却およびボーズ・アインシュタイン凝縮でノーベル賞を受賞した3氏のパネル討論があり,その場で,量子情報処理の実現性と波及効果に関する質問があった。3氏の答えは共通しており,「最終目標まで(汎用的量子計算機)の実現性は50%程度かもしれないが,重要なのは量子計算機そのものを作製することだけではなく,これから20~30年間,量子情報処理の研究を通じて多くの人材が量子もつれあい状態に代表される情報工学のための量子力学の理解と具現化,デバイス化に力を注ぐという事実であり,その過程で生まれてくる新しい技術,学問の重要性は計り知れない」というものであった。筆者も極めて同感である。日本に数台あればいいような特殊な超並列計算にのみ威力をもつ量子計算機,さらにはその量子計算機が実現した場合の通信秘匿性を守るための量子暗号通信,そのものが目的ではない。実際,光の分野でも本誌に取り上げられているような,単一光子光源,量子相関光子対,真空場のスクイージング,量子相関の光と物質間での転写,量子もつれあい状態を用いた通信(テレポーテーション),などの光の量子性ならではの光源技術,計測技術,応用が実現している。
本特集も斜め読みで理解できるような容易さはないが,|〉記号に嫌悪感を持たず,この手の解説論文を繰り返し読むことで頭にイメージが浮かんだとき,光の量子状態およびその制御による量子情報処理の世界への扉が開くのであろう。原理は完成している量子論を「情報」と結びつけるためにいかに具現化するか,研究者,技術者の新しいチャレンジが始まっている。