第3回 セビリアからサンパウロヘ
アルハンブラの思い出
セビリアの滞在中,せっかくはるばるセビリアまで来たのだからと,オフの日,私はほかの参加アーティストを誘ってグラナダのアルハンブラ宮殿まで足を延ばした。電車で片道3時間半ほどの距離で,日帰りは無理なので,宮殿の敷地内にある優雅なホテルに1泊する旅となった。森の中の贅沢な宿であったが,早朝やたら騒がしい音に目が覚めた。それは,夜明けとともに一斉に始まった小鳥たちのさえずりであった。そのなんと騒々しいことか! もはや「うるさい」としか表現不能なほどで,眠りに戻ることなどは不可能,小鳥のさえずりがこんなにも賑やかであったとは,新鮮な驚きと発見であった。
「新鮮な驚きと発見」と言えば,いつだったか中央アジアのキルギスに初めて訪れたときのことを思い出す。現地到着は夜で,空港から車で宿に向かう途中,眠い目をこすりながら何気なく外を見ると,無数の明るい点々が私たちの回りすべてを取り巻いていた。はじめは,状況がよく理解できなかった。しばらくして,それはなんと,星々が輝いている様であると判明した。遠近感を失った私の瞳には,それらはまるで手の届くような空間に満ち溢れているように見えた。スターダスト! まさに星屑を身をもって体験した瞬間であった。
話は戻るが,小鳥たちのおかげで朝早くに目覚め,美しい庭園の散歩もかなった。アルハンブラ宮殿は13世紀にこの地を都としたイスラム教徒によって建設され,グラナダの陥落(1492年)後も破壊されず,キリスト教徒の王たちによって改築や増築されて,アラブ様式のみならず中世ルネッサンス様式などが調和よく混在し,現在に至っているという。建物はもとより,敷地内は緑と水のまさに「楽園」だった。素晴らしい異文化を駆け足で堪能して帰路につくことにした。
遅くならないように電車に乗ったが,窓の外は間もなく日が暮れた。セビリアとグラナダの途中にはあまり大きな町はなかった。行きの車窓では,石ころだらけの丘にオリーブ畑が広がっている景色ばかりであった。田舎の駅は,ホームの真ん中あたりに駅名の書かれた大きな看板が1個あるだけで,駅に着いても車中から駅名の確認をするのには結構苦労がいった。長い車両のため,後方の連結車両からは看板を見ることすらできなかったのだ。乗車して3時間ほど過ぎた頃,私たちは目的の駅を乗り過ごしていけないとソワソワ気をもみ始めた。車中に停車駅名が表示される電光掲示板などあるはずのない時代だったし,外は暗く前後の駅名も定かではなかった。到着予定時刻を過ぎたけれど,電車はまだ走り続けている。20分ほども過ぎた頃,停車した。駅名を確かめねばと私は目を凝らして探しているうち,仲間の1人が「ここだよ。降りよう」と,さっさと降りてしまった。別行動はできないので,やむなく後に続く。やっと看板を見つけて確認すると,そこは降りるべき駅ではなかったことが判明した。
図4 草原風景シリーズの1枚(100 cm×130 cm)上下視点移動によってカラーバリエーションが起こる。
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