本物を目指して「門前,市を成す」であれ東京大学 教授 古澤 明
量子テレポーテーションの成功をビールを賭けて宣言
聞き手:Caltechへは1996~98年の2年間のご留学ですね。留学先でのご苦労などは?古澤:最初は日常会話で苦労しました。研究について英語で議論を交わすことはできたので,研究するにあたっては特段困ることはありませんでした。ほかの研究者を見ていて,東大の物理工学科で回路学や制御論を系統立てて学び,古典光学や量子力学もみっちり鍛えられてきたという自負もあり,それこそが自分の強みなんだと気付きました。それに,人間好きなことをやっていれば時がたつのを忘れるものです。確かに,寝食を忘れ24時間実験をやっていたような気もしますけれども,苦しいとかではなく,面白いおもちゃで遊んでいた感じですかね。今もそうですが,全然苦になったことはないんです,1回も。
聞き手:1998年の留学最後の年に,長い間実験は困難と言われてきた「量子テレポーテーション」の実験に挑まれますが,そのきっかけは?
古澤:シュレディンガーの猫やEPR(アインシュタイン・ポドロフスキー・ローゼン)パラドックスのように,量子力学の黎明期には「思考実験」だったものが,テクノロジーの進化で,実際にテーブルトップで実験を実現できる時代になりました。違う研究をやっていましたが,「量子テレポーテーションの実験をやりたい」と,私からKimble先生に申し出ました。普通,米国の大学は,博士研究員だろうが学生だろうが,ボスが自分で給料を払っているんですが,私はニコンから派遣されていましたから,研究成果を出せなくてもボスは困らないわけです。そもそもKimble先生もできるとは思っていなかったので,「いいよ。そんなにやりたいなら,やったら」みたいな感じでした(笑)。全然理論的にも完成していなかったので,どう実験をしていくかというのも完全に手探りでしたから,面白かったのかもしれません。結局2個ずつフォトンを出すという研究が,そのままテレポーテーションの実験に読み替わったわけです。強いて言えば2個ずつフォトンを出すというのは光源に当たり,それを使って操作するのがテレポーテーションになるわけです。2個ずつ飛んでくるフォトンを空間的に離しても,今流に言うと「量子エンタングルメント(量子もつれ)」で,こちらの測定をするとあちらにも影響が及ぶ,といった操作を,最初はぼろぼろの実験セットで始めました。やり始めてしばらくしたある時,テレポーテーション実験を成功させる完璧な方法を思い付いたんです。で,Kimble先生に「あと3カ月でできる」と宣言したところ,「では,ビールを賭けるか」と。
聞き手:「完璧な方法」は,どうやって思い付いたのですか。
古澤:東大の物理工学科で,学んだからこそだと思います。量子力学,制御論,回路学,古典光学が完全に頭の中で整理できた時に,「あ,こうやれば,できるじゃん」とひらめきました。ディープな量子力学や量子光学をやっている人たちはたくさんいるわけです。一方で,回路学,制御論,コンピューターをやっている人もたくさんいるわけです。でも,その両方をちゃんと体系立てて学んでいる人というのは,世界的にも東大の物理工学科ぐらいにしかいないんですよ。それほど特異点なんです。また,今の人たちは「装置は買ってくればいい」と思っている人が多いのですが,最先端のことをやろうと思ったら,全部自分で手づくりでやらなければ狙った実験はできません。既存のものを組み合わせて何か新しいことをやろうという発想では,陳腐なものしかできないんです。そして,最先端の研究をやるためには,回路学,制御論は当然必要で,その素養がちゃんと骨の髄まで染み付いていないと,できっこないんです。 <次ページへ続く>
古澤 明(ふるさわ・あきら)
1984年,東京大学工学部物理工学科卒業。1986年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。同年,株式会社ニコン入社。ニコンに在籍しながら,1988~90年は東京大学先端科学技術研究センター研究員を,1996~98年はカリフォルニア工科大学客員研究員を務める。帰国後,ニコンに復帰した後,2000年から東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教授。2007年,東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授。現在に至る。●専門:非線形光学,量子光学(光化学ホールバーニング,フォトンエコー,スクイージング,キャビティ聞き手ED,原子トラップ量子テレポーテーション,量子コンピューター)
●主な受賞歴等:1998年,Caltechで「量子テレポーテーション実験」に世界で初めて成功し,『Science』の1998年10大成果に選出される。2004年には3者間の量子もつれ制御に,2009年には9者間の量子もつれ制御に成功。久保亮五記念賞,日本学術振興会賞,日本学士院学術奨励賞,量子通信国際賞などを受賞。