世に出ていない最先端の技術と装置の創出を目指して(株)フォブ(FOV) 代表取締役 大出 孝博
広い視野で開発に取り組むことの重要性
聞き手:現在,大出社長は埼玉大学との共同開発を進めておられます。公表できる範囲内で結構ですので,その共同開発の概要についてご説明ください。大出:今取り組んでいるのは,レーザー顕微鏡のZ軸(焦点)の高速位置決め技術開発で,基礎技術の開発を進めている段階です。顕微鏡で焦点を制御する手法は従来,対物レンズをピエゾ素子で機械的に上下させる方法が主流でした。しかし,その方法では時間を要するため,顕微鏡の高速化がネックとなっていました。現時点では,まだ開発段階にあるので詳しくお伝えできませんが,最近焦点位置を電気的にコントロールできる素子が登場してきたので,その顕微鏡応用を埼玉大学(様)と共同開発しています。
Z軸の位置決めを高速化するメリットは,生物用途では生体の奥行き(Z軸)方向の活動を高速で観察できるようになることです。工業用途では,顕微鏡の焦点を移動して表面形状を測定する場合も多く,その形状測定の精度向上につながることが期待できます。
聞き手:この共同開発は,(株)フォブ(FOV)として取り組んでおられますが,フォブの設立経緯,目的やビジョンについてお聞かせください。
大出:FOV(フォブ)の名前の由来は,“the field of view”(視野)です。画像関係の技術者は,大概“フォブ”と聞けば分かりますが,それ以外の人にはまず通じることはないですね。電話で取り次いでいただくときなどは苦労します。
顕微鏡の性能を向上させるには,分解能を高めることが求められます。一般的には,高分解能=高倍率となって視野は狭くなってしまいますが,最近では広い視野を高い精度で観察したいという要求がさまざまな分野で叫ばれています。しかし,高い分解能に広い“視野”を兼ね備えた顕微鏡を製作すること,もしくは技術を開発することは非常に難しいのです。だからこそ,そのような技術・装置の開発にチャレンジしたいとの思いが1つ。
もう1つは,何か装置を計画する,または設計する過程において広い“視野”で物事を見る,捉える,思考しようということです。例えば,レーザー光線を制御する場合に光学的な観点でアプローチするのがいいか,電気的なアプローチがいいのか,それとも機械的に進めるのが得策かなどいくつかの選択肢から最適な方法を選んで進めていくことが,多くの場合,好結果に結びつくわけです。「私は光学屋だ,電気屋だ」と言って,専門分野の枠内で物事を考えても大概上手くいきません。私は“できるだけ広い視野でプランを練ったり問題を解決したりすることが重要”という考え方を大切にし,私自身もこうした広い視野を養うために努力しています。関連の資料や書籍に当たることはもちろんですが,それでも不明なときはその分野に精通する方と直接話をすることもあります。話の中で新たなことに気づいたり,理解できたりすることがあるからです。そのため,顕微鏡関連の技術・装置開発などでは,日頃から分野を問わずいろいろな知識や情報を得ておくことが,非常に必要になってくるわけです。
私には,“まだ世に出ていない最先端の技術や装置を創り出していきたい”との思いがあり,常に関心はその方向にあります。私自身には幸か不幸か,専門と言えるような知識がないため,どのような分野の技術であれ,それを学ぶのに専門性を気にする必要がありません。これは,当社にとって一つの強みであると自負しています。
聞き手:小誌2004年1月号(Vol.26,No.1)『私の発言』で大出社長が米マサチューセッツ工科大学(MIT)の海洋工学科客員研究員として在籍中に,“大学発ベンチャー”が次々に誕生する様子を目の当たりにして「これが米国の国力か」と回想されています。こうしたご経験が,会社を立ち上げるための原動力になっているのでしょうか。
大出:“大学発”に限らず,米国では技術者が自分で追究したい開発内容が明確になると,わりと簡単に起業してしまう気風があり,私もこの気風に影響を受けて最先端の装置や技術を開発して実用化したいとの思いから起業してきました。私がMITの在籍中に知り合った技術者の多くは今起業して会社を運営しています。結局,長い目で見るとMITにはそのような人材が豊富であったと言えます。
大手企業の場合,特に日本ではある程度の規模の売り上げが見込めなければ,その事業やビジネスに着手しない傾向が見受けられます。しかし,世にない画期的な最先端技術および装置について,これから開発を始めようとする段階で市場規模を予測したり判断したりするのは非常に難しいことです。そのため,正直な人ほど社内でのプレゼンテーションが控え目になり,結果的に良いアイデアが埋没してしまうという現象があちこちで見受けられます。そうした技術や装置のビジネス化に向けてチャレンジしようとする人は,大手企業に就くよりも独立して起業する方が向いていると思います。
聞き手:MITの海洋工学科客員研究員は,1991年からレーザーテック(株)と兼務されていたとのことですが,その経緯について教えてください。
大出:当時レーザーテックでは,レーザー顕微鏡の日本でのビジネスがほぼ軌道に乗り,方向性が見え始めた頃でした。次は海外に販路を広げようということになり,創業者社長の内山康氏から「レーザー顕微鏡を1台渡すから,それを担いで米国でアプリケーションを見つけてこい」と言われ,本当に顕微鏡1台を渡されて単身渡米したわけです。この時の心境はまさに“不安の塊”で,何をどうしていいのかさっぱり分からない状態でした(笑)。これとは別に,ちょうどその頃,月刊誌「日経サイエンス」(1990年10月号)にレーザー顕微鏡の記事を書く機会があり,その縁でレーザー顕微鏡の中核技術である共焦点光学系の発明者・MIT教授のMarvin Minsky氏と知り合いになりました。そこで彼に事情を話して相談したところ,そういうことならMITのあるボストンかスタンフォード大学のあるカリフォルニアのどちらかでトライしてみたらとアドバイスを受けたのです。これで候補地が2箇所に絞られたわけですが,ボストンは比較的狭い範囲で,と言ってもかなり広い範囲ではあるものの,人と知り合うには便利な場所と考えてボストンに決めました。ニューイングランドの気候や景色が私の母校(北海道大学)の環境に近く,親しみやすかったという点も決め手の1つでした。
ボストンに到着してからしばらくして,ある方からMIT海洋工学科の教授で溶接工学の大家である増渕興一先生を紹介していただき,直接お会いした際に「従来世にない画期的なレーザー顕微鏡が完成し,今そのアプリケーションを探している」との話を聞いていただきました。その時,私はレーザー顕微鏡をボストンの借家に置いていたわけですが,増渕先生から「うちの研究室の空いているところに置いておけばいい」とのご好意をいただきそれに甘えることになったのです。その後,増渕先生の研究室にいろいろな方を招いてサンプルを観るなどしているうちに,レーザー顕微鏡が増渕先生ご自身のサンプルにも役に立つことが分かってきました。溶接構造物の表面や表面形状を顕微鏡で観察するうちにすっかり研究の深みに入り,増渕先生のご推薦によりMITの海洋工学科客員研究員となることができたのです。その上,Research Affiliateの肩書きをいただいたことで,MITの全施設を自由に使えるようになり,それまで以上にとても活動しやすくなりました。当時印象に残っているエピソードといえば,海洋工学科の事務から呼び出され「はい,これ」とずっしりと重い鍵の束を渡されたことです。なにしろ海洋工学科はMITの中でも最古の学科で,当時はほとんどの部屋の出入りに鍵が必要でした。前述のMarvin Minsky氏が在籍するMedia Lab.は新しい建物であり,全館カード方式を採用していたのとは対照的です。結局,兼務の期間は足かけ17年間に及びましたが,内山社長が亡くなったことなどが原因で,頻繁に米国と日本を行き来したのは最初の3年ほどでした。 <次ページへ続く>
大出 孝博(おおで・たかひろ)
1978年北海道大学 工学部 電気工学科卒業。1978年日本無線(株)入社。1980年信州精機(株)〔現セイコーエプソン〕入社。1985年日本自動制御(株)〔現レーザーテック(株)〕入社。1991年米マサチューセッツ工科大学海洋工学科客員研究員 兼務。2002年大阪大学フロンティア研究機構ナノフォトニクスプロジェクト特任教授に就任。2003年ナノフォトン(株)設立,代表取締役に就任。2006年(株)フォブ(FOV)設立,代表取締役に就任。1988年神奈川県工業技術開発大賞受賞(受賞対象:走査型カラーレーザー顕微鏡)。1998年神奈川県工業技術開発大賞受賞(受賞対象:広視野コンフォーカル顕微鏡)。2006年第18回中小企業優秀新技術・新製品賞中小企業庁長官賞(受賞対象:レーザーラマン顕微鏡)。