常に新しいことにチャレンジするのが研究の醍醐味東京農工大学 名誉教授 黒川 隆志
面白そうだから飛び込んだ黎明期の光エレクトロニクス
聞き手:まずは,光エレクトロニクスの研究分野に進まれたきっかけを教えてください。黒川:きっかけは,大学の卒業研究で石黒浩三先生の光の研究室に進んだことです。当時は現在からみると光エレクトロニクスの黎明期と言ってもよい時代で,1960年のレーザー発振から始まり,1966年のファイバー低損失化予言や,1968年の液晶ディスプレイの成功といった,光ファイバーやレーザー,ホログラフィーがいろいろ話題になり始めていました。それで,こういう光の研究室に行ったら面白いんじゃないかなと思い選択しました。しかし当時は,物性関係とか材料関係,量子力学の方が人気があり,光学はまだそれほど倍率も高くありませんでした(笑)。
私が4年生になったのは1970年で,学生時代は安田講堂の占拠など学園紛争の激しい時代でした。半年以上まったくの休講状態で,4年生になったのが秋ぐらいでしたから,卒業も6月に遅れてしまいました。 卒業研究は,He-Neレーザーを作るというテーマで,ガラス細工にHe-Neの気体を入れ,鏡をたくさん用意してきちんと合わせて行うというものでした。実質半年ぐらいしか期間がなく,ついに発振しませんでしたが,当時は学園紛争で慌ただしく,またおおらかな時代でしたので,卒業研究発表というのもやりませんでした。今になって思うと,使用した光学部材に間違いが多くて,あれじゃあ発振するわけがないなと(笑)。
その後,NTT(当時は電電公社)に入社しました。大学時代にやっていたこととは違う分野のことをやりたいと思い,当時盛んになってきたデータ通信が面白そうだと希望したのです。けれども,「おまえは光関係だから」と,部品材料系の研究所に配属され,NTTでも光デバイスをやることになってしまいました。当時自分では,ずっと光を研究することになるとは思っていませんでした。
NTTで最初に入ったのが,茨城研究所にあった公衆電話や黒電話など,プラスチックの筐体を開発する成形部品研究室というところでした。英語で言うとPlastic Molding Sectionというので,全然魅力的ではなかった。研究者の8~9割は化学系で,光を知っている人はあまりいない研究室でしたので,「違う研究室にしてくれ」とずいぶん文句を言いました(笑)。実は,研究室全体としては「電話機の筐体の開発は大体終わった。これからは違うテーマをやらなきゃいけない。光通信が始まりそうだから,プラスチックでファイバーや導波路を作るとか,そういう研究をやるべきだろう」という状況で,光通信関連の研究を進めるために私が配属されたようです。総勢20名ぐらいの中で私を含め2,3名が光関連の研究をし,大部分の方はまさにプラスチック成形とか光とは縁遠いことをやっているという印象でした。
今はプラスチックファイバーなど有機材料を用いた光素子の研究が盛んですが,当時は全くそういう研究はありませんでした。多分われわれの開発した高分子の光導波路は,実際に光が一番初めに通ったものの一つだと思います。入社して1年ぐらいたった時に,ベル研究所でも同様の研究発表があったので,「あ,これはまずいな」と思い,一生懸命やりました。
プラスチックの研究室なので,導波路を作るにしてもビーカーで試薬を混ぜ合わせるということもやるんですが,私はそういう経験も全くないし,学生時代は興味自体がなかったので(笑),そこで初めて,有機材料や高分子などについて独学しました。そうするうちにだんだん興味が拡がっていって,最初興味がなかったはずのプラスチック成形にも手を出し始めました。プラスチックの光コネクタなども1μm以下の精度の超精密成形で作らなければいけません。当時としては画期的な精密成形にチャレンジして,プラスチック成形のコネクタやV溝の接続器などを初めて作りました。入社して6,7年もしたら研究室の半分くらいが光関係の研究に携わっているような状況になっていました。おかげで,多くの優秀な仲間に恵まれ,いろいろなことにチャレンジさせてもらいました。現在はやりの3Dプリンタのはしりである光造形で3次元光回路を作ったりもしました。光以外でも,ポリアセチレンで有機トランジスタを作るといったこともありました。
それから,企画部門(事務仕事)に配属され,2年程研究から離れてしまいました。企画部門の配属になる時に,「研究所に戻ったら,好きなことをやってもいい」と言われていたので,当時,盛んになり始めていた光コンピューティングが,会社から見るとあまり役に立つ話ではないのですが,研究としては非常に面白そうだということで,これを始めることにしました。その後,NTTが民営化され研究所も組織がだいぶ変わり,私は茨城から厚木の研究所に移りました。光コンピューティングの研究というのは,会社でやっていくのは難しいテーマでしたが,伊賀健一先生が始められた面発光レーザーをはじめ,半導体光デバイスの研究に領域を広げながらともかく10年以上もグループとして続けることができました。光コンピューティングの研究では,材料・デバイスという観点だけでなくシステムや装置的な面からの検討も必要です。
NTTにはトータルで25年いましたが,電電公社(前半の10年余)時代とNTT(後半の10年余)時代とでは,自分の考え方を意識的に変えていきました。後半の10年では,大学はもちろん,多くの企業の方とも知り合って情報交換することができ,自分にとっては非常に有意義な時代だったと思っています。
研究所ではある程度若いエネルギーが必要ですから,NTTでは50歳近くになると,外に行くよう勧められます。ほとんどの人は子会社や関連企業に行くんですが,私自身は研究をやりたいので大学に行こうと思い,ちょうど公募していた農工大に行くことにしたのです。当時は国立大学でしたので,公務員試験を受けないで公務員になりました(笑)。 <次ページへ続く>
黒川隆志(くろかわ・たかし)
1948年茨城県生まれ。1971年東京大学 教養学部基礎科学科卒業。1973年東京大学理学系研究科 修士課程修了。1973年日本電信電話公社入社。1984年日本電信電話公社 茨城電気通信研究所 企画管理室調査役。1988年NTT光エレクトロニクス研究所 研究グループリーダー。1998年東京農工大学 工学部教授。2013年東京農工大学 名誉教授。●研究分野:光信号処理,光計測,天文光学
●1989年MOC/GRIN ’89 国際会議 最優秀論文賞。1990年OEC ’90 国際会議 最優秀論文賞。2007年応用物理学会フェロー。