苦労して,問題に真面目に向き合って解決した人たちというのは強くなる東京工業大学栄誉教授 末松 安晴
問題に真面目に向き合って解決した人たちというのは強い
末松:試行錯誤の繰り返しでしたので,苦悩の連続でした。うまく行かないわけですから。もっと早くできるのではと考えていましたが,1960年からはじめて,遅々として実用化されないわけです。特に1970年の前半ごろには,半導体レーザーがなかなか世の中で使ってもらえませんでした。アルミニウムガリウムヒ素のレーザーが,CDに使われることになり,1970年代後半ぐらいからだんだん使われるようになりましたが,半導体レーザーの研究をしている人は,企業から白い目で見られて,研究をやめさせられた人もいて,それを見ているのはつらかったですね。 しかし,非常に不思議なことに,先頭を切って研究を始め,研究をやめさせられたりしたような人たちがいた企業,これは三菱電機なのですが,今や世界の生産拠点にとして世界の通信用半導体レーザーの半分を作っています。三菱の人たちは,日本の半導体が下火になった中で,主力製品だと言っています。
最初から携わり,苦労していろいろな問題に真面目に向き合って解決した人たちというのは強いのです。だから,どんなに苦しくても最初からやらなければ駄目だと思います。先ほど「もっと大事なことがほかにある」といわれたことをお話しました。だからこそ,早く結果を出したかったのですが,なかなか商用化は進みませんでした。最初のころは,新技術が使われるようになるには25年はかかりますよと言われたものですが,結局,そのようになりました。さらに,家庭まで行き渡るには30年はかかりますと言われていたのですが,実のところ,40年ぐらいかかっています。
通信のように社会で使われる技術は家庭まで行き届かなければ本物ではないのです。家庭内で用いられるのが,私にとって非常に重要なターゲットで,そのためには技術は単純でなければいけないという思いがありました。単純だと,コストが下がる可能性があります。だから,半導体レーザーというのは非常に向いていました。
とにかく1961年ごろからはじめて 1/4世紀間使い物にならなかったところで研究してきましたから,その間の焦りは大きかったですね。 <次ページへ続く>
末松 安晴(すえまつ・やすはる)
1932年 岐阜県生まれ 1951年 岐阜県立中津高校卒業 1955年 東京工業大学理工学部電気工学コ?ス卒業 1960年 東京工業大学大学院理工学研究科修了(工学博士) 1960年 東京工業大学理工学部電気工学科助手 1961年 東京工業大学理工学部電気工学科助教授 1967年-1968年 オハイオ州立大学 文部省在外研究員 1973年 東京工業大学工学部電子物理工学科教授 1989年 東京工業大学学長に就任 1997年-2001年 高知工科大学学長に就任 2001年-2005年 国立情報学研究所所長に就任 2010年 高柳健次郎財団理事長 2011年 東京工業大学栄誉教授●研究分野
光通信技術,レーザーデバイス
●主な受賞歴等
1983年 ワルデマー・ポールセン金メダル 1983年 コミュニケーション功労者内閣総理大臣表彰 1986年 デビット・サーノフ賞 1989年 東レ科学技術賞 1994年 ジョン・チンダル賞 1994年 C&C賞 C&C財団 1994年 放送文化賞(日本放送協会) 1996年 紫綬褒章 1997年 エドワード・ライン賞 2003年 IEEEメダル(ジェームス・マリガンJr. エヂュケーション) 2003年 文化功労者 2006年 瑞宝重光章 2014年 日本国際賞