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大学の先生になったら,絶対ちゃんと教育するぞと思っていた 学生は場さえ与えれば自分で育つところがすごいと思った科学技術振興機構 研究広報主監 佐藤 勝昭

学生はモチベーションを与えてあげれば,どんどん勝手に育っていくからすごい

佐藤:その当時,私は共働きだったので,子どもを保育園に送っていくのは私でした。夜に子どもたちに本を読んで寝かせるのも私の役割で,そのまま一緒に寝てしまいます。そうして夜中の12時ごろに起き出して,論文の仕事を夜中の3時ごろまでやっていました。本当に大変でした。子どもたちの保育園は,長時間保育や乳児保育,病児保育などを先行的にしていましたが,それを公的に認めてもらうための運動をしたり,学童保育を作るための運動もしました。世田谷区の駅前で2,000名の署名を集めて,私がリーダーになり区議会で説明して,学童保育所を作ってもらったりもしました。そういう意味では,今でいう「イクメン」のはしりもしていたことになりますが,研究と両立させていくのは,本当に大変でした。
 私は,NHKに18年,基礎研には16年足らずいましたが,たった30本しか査読つき論文がないので,今の基準から言うと,論文の実績はずっと少なかった。ですが論文内容を見た人が,結構クオリティが高いと見てくださったおかげで,農工大の助教授として電子工学科で採用してもらいました。
 大学で研究室をもつと学生に研究を手伝ってもらえます。学生はすぐ私の口車に乗って,真面目にやってくれるのです。それで,大学にいる間に,230点の査読つき論文を出しました。これは学生のおかげです。学生には「あなたたちには足を向けて眠れない」といつも言っていました。そのかわり,学生が自分で一生懸命考えて,拙いけれど英語の論文のドラフトまで持って来たら,トップネームにしています。みんな一生懸命やりますし,学生にとってもやりがいになります。 remark73_8  それでも最初の年は「砂漠に水をまくみたいなものだな」と思いました。NHK基礎研にいたときは,周りはドクターを持っている人ばかりなので,ツーと言えばカーです。でも,大学には,自分と同じ研究をしている先生なんていないし,学生はほとんど知識ゼロで,話にもならないです。そういう連中を,何とかその気にさせるというのは大変でした。
 ところがある時,それまで軽音でブイブイやっていた学生が,宗旨変えして大学院の試験を受けさせてくれと言うのです。成績はまあまあでしたが,面接ではボロボロでした。その当時の主任教授が3月まで預かりだと言い,それまでにちゃんとやれたら大学院に行かせると言うのです。そうしたら,彼は心が入れ替わって,真面目になり,彼の効果でほかの学生さんたちも変わりました。
 要するに,私は砂漠に水をまくと思っていたけど,そこからちゃんと芽が育っているわけです。それだけではなく,卒業時に,後輩の学生に,ガラス細工,石英細工から真空装置の使い方について,立派なマニュアルを作って引き継ぎをやってくれているのです。「お前ら,これを読んでおかないとあかんぞ」と言って。それを見て,場さえきちんと与えれば,生徒は自分で育つものだと思ったのです。農工大は,今は偏差値がだいぶん上がりましたけど,その当時はあまり受験勉強していない公立高校の生徒が多かったので,伸びていないゴムなのです。だから,引っ張るといくらでも伸ばせましたね。
 私は,学生さんってすごいなと思ったのです。ちょっとしたモチベーションを与えてあげると,どんどん勝手に育っていくのですね。いやあ,私も,それはとてもうれしかったです。

どんなことでも,タイムリーに対応しなければいけない

佐藤:1988年に『光と磁気』という本を朝倉書店から出しました。今でも磁気光学の標準的な教科書になっていますけれども,それは,小川智哉先生という結晶工学の専門家の先生が中心になって,「現代人の物理」というシリーズを出すので,1986年に編集委員になれと言われたのがきっかけです。どんな本を作るかというコンセプトをみんなで議論しました。そこで私は,いろいろなハイテクがどんどん進んでいるけれども,そのベースになっている物理というものが置き去りになっているから,そこをちゃんとやるべきだというような自分なりのコンセプトを話しました。そのために技術者の人も読めるような本にしなければいけない。だから数学も,高校の数学程度でフォローできるような数学でないといけないのではないかと,いろいろ提案したのです。必ず章の初めには簡単なレジュメというか大体何を学ぶのか,ということと,最後には問題を付けて,その章のまとめがあると,読んでいて達成感があるのではないかとかいろいろ提案しました。そうすると,「じゃあ,隗より始めよ」というわけで,第1巻を私が出すことになったというわけです。  その基礎になったのが,NHK基礎研にいたときの四半期報告でした。当時週報,月報,そして四半期報,年報がありました。四半期報は結構なボリュームを書かされるのですが,私は毎回上司が読めないぐらいの分量を書いていました。それをある程度まとめたら,磁気光学の基礎の部分になりました。もともと自分のために書いたレポートが役に立ったのです。
 一回教科書を出すと,あいつは本を出せる人だということになって,並行して,コロナ社から『応用電子物性工学』を越田先生と共著で書けとか,裳華房から『金色の石に魅せられて』という本を書けとか,オーム社から応用物理学シリーズで『応用物性』の編著をやってくれとか,次々に依頼が来ました。現在35冊ぐらいの本を書いていますが,ああいうのもタイミングがあります。ちょうど1989年に光磁気ディスクが出ることになっていたから,それに間に合わせようと考えました。何でもそうだと思うのですが,頼まれたときに,タイムリーに対応しないといけません。これは,どんなことでもです。 <次ページへ続く>
佐藤 勝昭(さとう・かつあき)

佐藤 勝昭(さとう・かつあき)

1942 兵庫県生まれ 1966 京都大学大学院工学研究科修士課程 修了 1966-1984 NHK(日本放送協会)勤務 1978 工学博士(京都大学) 1984-2005 東京農工大学 2005-2007 同理事副学長(教育担当) 2007東京農工大学名誉教授 2007-2010東京農工大学工学府特任教授 2007-2013科学技術振興機構(JST)「革新的次世代デバイスを目指す材料とプロセス」研究総括 2007-2012 JST基礎研究制度評価タスクフォース(兼務) 2008- JST研究広報主監 2010- JST研究開発戦略センター(CRDS)フェロー(兼務)
●研究分野
磁気光学,半導体光物性,近接場光学,結晶工学,高温超伝導,磁性体ナノ構造
●主な活動・受賞歴等
2015 応用物理学会 業績賞(教育業績) 2014 日本結晶成長学会 貢献賞 2007 応用物理学会 フェロー表彰 2003 日本磁気学会 業績賞 2003 応用物理学会 JJAP編集貢献賞 2001 日本磁気学会 論文賞 2001 Int. Superconductive Electronics Conf. 2001 (ISEC'01) Excellent Poster Award 2000 Materials Research Society Best Poster Award 1997 日本磁気学会 出版賞
●画歴
1950-1954 小学生時代, 伊藤継郎(新制作)の児童画教室に学ぶ 1953から油彩をはじめる 1957-1960 大阪府立北野高校で美術選択 岡島吉郎(国画会)に学ぶ 1968-1984 NHK技研美術部で樋渡涓二(日府展前理事長)に師事 1970日府展に出品。中島哲郎に学ぶ 1974 ぎゃらりー渋谷で第1回個展 1978-2001銀座詩季画廊で個展(第2回?10回)二人展3回開催 現在 一般社団法人日本画府理事(洋画部審査員) 日府賞,記念賞,愛知県知事賞等受賞 2007- 麻生区美術家協会事務局長,麻生区文化協会総務 2008- アルテリッカ新ゆり美術展実行委員長

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