思い続けていれば,その願いはいつか必ず現実化できる慶應義塾大学 満倉 靖恵
脳波の周波数から,心の状態を“見える化”する
聞き手:満倉先生は子ども時代にどんな夢をもっていたのですか。そこから現在の理工学分野に興味をもたれたのは,どのようなきっかけだったのでしょうか。満倉:私には専門分野が2つあります。工学的な専門分野と,医学的な専門分野で,医学,工学両方の博士号をもっています。最初は工学的なところに興味をもったのですが,それは両親が理系だったからでもあります。例えば,子どもがコップを落として割ったら「ごめんなさい」と謝って終わると思うのですが,私は親からどうしてこれが割れるのかということを淡々と聞かされました。そういう環境だったので,怒られることはなく,現象を理屈で考えるようになりました。物が落ちるときにはどんな数式で落ちていくのかとか,今思うと,理屈っぽい,嫌な子どもだろうなと思うのですが(笑),自然にそう考えるようになって,何も疑うことなく,理系に進みました。
子どもの頃の夢は,ピンク・レディーになることでした。ピンク・レディーセットを買ってもらって踊っていました。いまだに正月などに家に帰ると,両親からは「ピンク・レディーになりたいって言ってたじゃないの」と言われます。その後,理屈っぽかった私は高校時代に,数学の先生になりたいと思っていました。さらに大学では,世の中に自分の言葉で現象を伝えていくアナウンサーにも憧れていました。当時,アナウンサーは,難しいことをやさしい言葉でわかりやすく説明することが求められていたので憧れていたのですが,進学した大学の先生からの勧めもあり,研究の道に進むことになりました。
大学の専攻は制御系を選んだのですが,それはガンダムを作りたかったからです。コントロールの道を究めようと研究しているうちに,やがて自分の心や人の心のコントロールに興味をもつようになりました。心は脳にある。それなら,脳波を測り,考えていることや感情を脳波で見られるにしようというところに行きつきました。
でも,実際に脳波計をつけて調べてみると,何をやってもほとんど脳波は一緒なのです。のちに,それはノイズであることがわかりました。そこで,信号処理によってノイズを除去するなど研究を重ねていきました。人間の脳波の周波数は,わずか1~40 Hzの範囲でしかありません。周波数は無限にあり,人間が聞こえる周波数は20 Hz~20 KHzですから,それに比べると極端に狭いのです。それでも,細かく調べていった結果,脳波は心の状態によって違いがあることを突き止めました。ストレスをかけたとき,あるいは嬉しいときの脳波のパターンが見えてきたのです。心が見えるということに気づいた瞬間でした。
17年もの歳月がかかった「感性アナライザ」
聞き手:満倉先生の取り組まれてきた研究の概要と,その中で苦労されたことや転機となったことがあったら教えてください。満倉:脳は6つの層からなる構造をしており,脳の中で発生した電気信号が6層を伝わって表層の頭皮上に出てきます。ただし,発生している信号はミリボルトですが,表層上ではマイクロボルトになってしまいます。それを増幅した形で見ているのが脳波です。と同時に,ノイズも増幅されてしまいます。そこでノイズを除去し,そのデータを解析すると,感情がわかるというのが私の研究です。
脳の測定では,f-MRI(機能的磁気共鳴装置)などで脳の活動を調べることができますが,リアルタイムに測ることはできないという欠点があります。また,大きなデバイスをつけたり,装置の中に入ったりするためストレスになり,感情が変化して,正しい測定ができないのです。ですので,利便性の点でも,すぐに反応する脳波が一番優れていると思います。
私1人の脳波の測定から始まり,研究室の仲間や学生さんにも測定させてもらい,その後一般化できるようにするため,のべ何千人もの脳波を測り,そのデータを解析して導き出したモデルを組み込み作ったのが「感性アナライザ」です。これは,脳波からリアルタイムで人の感情を評価できる装置です。「感性アナライザ」の理論を作るまでに17年,そこから装置としてできあがるまでに,さらに7~8年かかっています。それは,多くの人の脳波を溜め込んで一般化しないとできないからです。17年もの歳月が「感性アナライザ」に入っていると思うと感慨深いものがあります。
先ほど,脳波の周波数は1~40 Hzの間に入っていると話しましたが,これは現象論なのです。ある現象が起こって,結果的にそう見えているだけです。ある教授から,「現象だけでなく,脳の中が実際にどうなっているのかを調べないといけない」と言われたのがきっかけで,医学で脳を究めようと医学部に進む決心をしました。マウスやラット,あるいはマーモセットという小さなサルの脳を調べ,その反応を見て人間の脳の解明につなげるのです。医学部でそういったトランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)を2011年くらいから始めました。若い時よりも記憶力は落ちていますし,マウスなども扱ったことがありませんでしたので,とても苦労しました。それでも,そのおかげで今はオペも自分できれいにできますし,医学博士号を取り,人間の身体に対する知識も十分にでき,太い工学的な研究につながったと思っています。そういう意味では,教授の一言がなければここまでこられなかったと感謝しています。
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満倉 靖恵(みつくら・やすえ)
1999年 徳島大学工学部知能情報工学科助手 2002年 岡山大学情報教育コース専任講師 2005年 東京農工大学大学院助教授 2007年 同大学院准教授 2011年 慶應義塾大学理工学部准教授 2018年 同大学教授●研究分野
生体信号処理,脳波解析,感性工学,脳神経科学