思い続けていれば,その願いはいつか必ず現実化できる慶應義塾大学 満倉 靖恵
健常者とうつの人の違いを脳波で明らかにする
聞き手:脳波と画像を扱って,現在取り組んでいる研究について教えてください。満倉:研究では,精神疾患や認知症,睡眠などを数学的モデルで示すことに取り組んでいます。一貫しているのは,人の現象を捉え,その中身を知り,どうやったらうつ病や認知症が治せるのか,突き詰めていくところです。
例えば,うつ病のような内的な要因の場合,ケガのように外から見てもわかりません。ですから,精神科の先生や臨床心理士などが基準に基づいて判定をするのですが,先生によって判断が違うことがあります。そこで,脳波を測ることで,うつ病であるかどうかを見える化し,これまで見えづらかった定性的なものを定量化しました。健常者とうつの人の違いを,わずか0~30 Hzのあいだの脳波の違いによって明らかにできるのです。しかも,若干うつっぽい人,うつ病の人,かなり重いうつ病の人など,重症度を含めてすべてわかります。抗うつ薬が効いているのかどうかについても脳波でわかります。今後は,その人に合ったオーダーメイドメディシンで投薬量を決めることもできるように,製薬メーカーと共同研究をしています。
コロナ禍の中で外に出られず,仕事や生活などで悩んでいる人はいっぱいいると思います。でも,どこに相談をすればいいかわからないのです。1人で悶々とするよりは,脳波計をつければ自分がうつなのだとわかります。自分の状態が見えるようになることで,ストレスがかからない方向に作用します。それをバイオフィードバックと呼びますが,そのように自分の状態を可視化するのはとても重要なのです。認知症も同じで,脳波の違いを見ることで認知症の判定ができるようになります。
聞き手:17年も研究を続けてきたと言っていましたが,あきらめそうになったことはありますか。どうやって乗り越えられたのでしょうか。
満倉:これまで,論文を出しても通らなくて心が折れそうになったことは,何回もあります。それでも乗り越えられたのは,やりたいという思いのほうが強かったからです。人の心の状態を可視化するのは,これから絶対に必要だと思ったのです。研究に打ち込んできたがゆえに失ったものもたくさんありました。それでも研究のほうが大事で,そちらのほうが勝ってしまうのです。それしか見えていなかったのかもしれませんね。
女性が抱える健康の課題をテクノロジーで解決する
聞き手:研究の今後の可能性や夢についてお聞かせください。満倉:感情はホルモンの影響で変わりますが,ホルモンの変化を脳波で見える化することもできます。私は今,FemTech(フェムテック)の研究を進めています。FemTechは,Female(女性)とTechnology(テクノロジー)をかけあわせた造語で,女性が抱える健康の課題をテクノロジーで解決できる商品やサービスです。例えば,脳波を見ることで,女性のバイオリズムなどを外から知ることができます。すでに特許も出し,論文も開示されています。これまで,ホルモンは,血液や唾液から採って調べるしかありませんでした。それが,脳波を計測するだけでホルモンの状態がわかるようになるのです。
エストロゲンが何%で,プロゲステロンが何%あるとか,オキシトシンがどれくらいあるかといったように,ホルモンの状態を見ることで人の心を定量化できます。こういった研究に至ったのは,やはり医学部に行ったおかげです。ホルモンの状態によって,人の感じ方は違ってきます。例えば女性の場合,黄体期にあたる黄体ホルモンが多いときには,プロゲステロンがすごく多くなります。そのときには,同じことを言っても怒りになってしまったりします。でも,エストロゲンがすごく多いときには,同じことを言っても,怒りには感じないのです。また,オキシトシンがあると,優しくなります。そういう違いがあるのだというのも理解できました。
これまでずっと現象を数式モデルにし,その現象を可視化するという研究を続けてきましたが,今はそれに深み(深化)と幅をもたせた研究ができるようになりました。可能性は無限大です。もともと脳波計測システムをつくるきっかけとなったのは,ALS(筋萎縮側索硬化症)の患者さんとの出会いでした。ALSが進行すると,患者さんは眼球の動きだけしか外界とコミュニケーションが取れなくなってしまいます。そこで,脳波計測システムを使って患者さんがYes,Noを示すことができるようにしたのです。ご家族がたいへん喜ばれるのを見て,研究を加速させなければと思いました。今考えているのは,思ったことをそのまま文字にするシステムの開発です。それから,脳波だけでどんな夢を見たかがわかる,夢の可視化も可能だと思っています。海外ではMRIを使って夢を可視化する研究はありますが,簡便な脳波測定ヘッドセットをつけて眠るだけでわかるようになります。また,最近,テレビ番組で紹介していただいたのですが,脳波に信号を入れて気持ちを変える「気持ちスイッチ」の研究にも取り組んでいます。電気をあてるだけで,嫌な気分が吹っ飛ぶとか,うつが治る。それも可能だと思っています。
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満倉 靖恵(みつくら・やすえ)
1999年 徳島大学工学部知能情報工学科助手 2002年 岡山大学情報教育コース専任講師 2005年 東京農工大学大学院助教授 2007年 同大学院准教授 2011年 慶應義塾大学理工学部准教授 2018年 同大学教授●研究分野
生体信号処理,脳波解析,感性工学,脳神経科学